「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句がさいたま市の公民館だよりに不掲載となった問題。同市はこのほど、作者への賠償を命じる判決が確定したことを受け、俳句掲載の意向を示した。
市側の掲載拒否の理由は、「公民館は政治的に公平中立であるべき」であった。地域住民の生活や文化を豊かにする場である公民館で、求められる政治的中立性とはなにか。
志田陽子・武蔵野美術大教授は、「市民がさまざまな問題意識を持ち寄れる純粋な受け皿であること」(「東京」26日付)と指摘する。9条を守ろう、あるいは逆に改定しようとの立場の人がいて、民主主義上、当然なのだ。今回のように9条を守ろうとする立場を排除することこそ、統制的である。
また、公民館だよりに掲載する俳句には作者の名が記される。公民館が俳句と同じ立場にあるとは考えがたい。さいたま地裁が掲載について、「公民館の中立性や公平性を害するとは言えない」(2017年10月13日)と判断したことは当然だった。
そもそも9条は日本国憲法の条文だ。義務教育である小学6年の社会科教科書にもその全文が紹介されている。守る立場を行政が侵害することこそ不公正そのものであろう。
近年、公共の場から市民の政治的な表現が排除される例が各地で続いていたが、ことしはそれに待ったをかけた市民が権利行使を前に進めている。
神奈川県海老名市は2016年に駅自由通路での「アベ政治を許さない」などの宣伝活動を禁じる命令を出した。が、市民のたたかいの前に翌17年、横浜地裁から取り消され、ことし6月には条例も改定せざるを得なかった。この結果、駅前での市民の宣伝活動の自由は広がり、若者らの路上ライブも活発化している。
表現の自由は生活や文化を、また、町の光景も豊かなものに変える。この確信をより多くの人に伝えていきたい。