腰を痛めていたSさんがラジオ体操にやってきました。お元気そうです。
いわく、「『小生84歳、人生これから!』の言葉に励まされました」。ことし受け取った年賀状のなかから、Sさんに紹介したコメントです。
記した当人は、岩手の友人Mさん。東日本大震災のとき、津波で釜石市の自宅が全壊。宮古市への移住を余儀なくされた方です。宮古では地域の人びとの戦争体験を仲間と協力して集め、記録集「戦争の時代を生きて」を6号まで発行。不屈の精神の持ち主です。
生きかたや言葉の力を改めて痛感しました。(写真=赤唐辛子)
腰を痛めていたSさんがラジオ体操にやってきました。お元気そうです。
いわく、「『小生84歳、人生これから!』の言葉に励まされました」。ことし受け取った年賀状のなかから、Sさんに紹介したコメントです。
記した当人は、岩手の友人Mさん。東日本大震災のとき、津波で釜石市の自宅が全壊。宮古市への移住を余儀なくされた方です。宮古では地域の人びとの戦争体験を仲間と協力して集め、記録集「戦争の時代を生きて」を6号まで発行。不屈の精神の持ち主です。
生きかたや言葉の力を改めて痛感しました。(写真=赤唐辛子)
今朝、ラジオ体操からの帰途、精肉店前に店主で体操仲間のSさんが杖をついて立っていました。「体操を終えて帰る仲間から、元気をもらおうと思ってね」。
腰を痛めたということで、しばらく体操を休んでいるSさん。確か83歳のはずです。精肉を複数の幼稚園に納入する作業もあるため、週2回、未明の1時頃まで働いています。
かかり付け医に、外科医に診てもらったほうがよいといわれたこと、そのさい、「もう私も終わりか。家族葬にしようかな」と思ったこと、何枚もレントゲン写真を撮った外科医からは「とくに異常はない」と言われたこと、その帰り、歩けなくなり、息子におんぶしてもらったこと、いまは薬を飲みながら店に出ていること等々、詳しく話してくれました。
顔色は朝日も受けて良好に見えます。
「Sさん大丈夫かなって、みなさん心配していますよ。待っていますからね」
「ありがとう」
豚肩ロースの塊は、ラジオ体操仲間のSさんの精肉店から購入。たこ糸でぐるぐる巻いて結んでくれました。肉がしまってスライスしやすいとのこと。
目指したのは、横浜・中華街D店のうま味たっぷりの締まったチャーシュー。近づくことができるかどうか…。
塩、コショウ、ニンニクを肉にすり込み、ブランディーもふりかけ、袋の中でよくもみました。冷蔵庫で漬け込んだのち、水分をふき取り、乾燥。そのあと、燻煙器に。
出来上がったチャーシュー(写真)は、香ばしく豚肉のうま味が凝縮されている…と言いたいところでしたが、正直、うま味が肉の塊の中までは伝わっていませんでした。家中、燻煙の匂いが充満したのに、です。
原因はいろいろ考えられるので、また名店の味を目指して挑戦したいと思います。
横の方から近づいてきた若い男性。ピアスをいくつも付け、黒い革製の服を着ていました。「がんばって」。小さくてもはっきりした声。そばにいた仲間が差し出した憲法改悪反対署名に急ぐようにペンを走らせ、去っていきました。
うれしくなり、予定していた演説内容を中断。力を込めました。「いま、若い方が署名してくださいました。勇気百倍です。若者を絶対、戦場に送ってはなりません。みなさん、ごいっしょに、守ろう憲法9条、生かそう憲法の声を草の根からいっそう広げようではありませんか」
昨日8日、海老名駅前で行った宣伝活動(写真)の一場面です。
冬のうす暗い会場ではそうした”欠損”もわからないのではなどと思い込んでいるのですが、ゆったりしていて着やすく、なによりも愛着があります。
地域のアイスホッケーチームに所属していたときの移動着でした。横浜のリンクで深夜、試合があるときなどはスタジャンを着込み、意気揚々と車に分乗して出かけたものです。
胸の紺色の布地にはチーム名を刺繍で入れた、ボリュームのあるマーク、右腕の白い皮製生地にはDF(ディフェンス)と背番号15のワッペンがそれぞれ張り付けられています。
「どこの若い人かと思った」。体操仲間の精肉屋のSさんの第一声です。帽子をかぶり、マスクをしていると、おじいさんには見えなかったのでしょう。
ラジオ体操でも着ていると、活動的で、軽やかな気分になるから不思議です。