2022年5月30日月曜日

行ってらっしゃい

   朝のラジオ体操のとき、農家のTさんのところに、同居するお孫さん2人があいさつに来ます。

 「行ってきまーす」

 2人は高校生と中学生。横浜まで電車通学しています。

 Tさんと少し離れて体操をする私。そばを通る2人に、「行ってらっしゃい」と声をかけます。

 最初の頃ははにかむような小さい声でしたが、いまははっきりした声が当方にも返ってきます。「行ってきまーす」

 最近は私のそばで体操をする牛乳店のOさんも、「行ってらっしゃい」と声をかけています。2人の笑顔が増したように見えます。

 交わす朝の短いあいさつ。ただそれだけですが、清々しい気持ちになります。

2022年5月26日木曜日

日本との差にクラクラ

   

 先日、「幸福度世界一のフィンランドってどんな国?」と題する講演会に参加しました。講師は駐日フィンランド大使館広報室の堀内都喜子さん=写真=。40代のある参加者は、「日本の状況との差にクラクラする」と感想を語りました。

 講演で印象深かったのは教育の分野についてです。義務教育は18歳までが対象で、教材も給食も無料。学ぶ喜びや、競争より協力が重視され、学習内容については国の指針があるものの各学校に裁量権が与えられています。政治教育関係では実際の政党・候補者を対象にした模擬投票も実施されています。

それらの趣旨や目的については、「社会に積極的に関わる大人や、自分から行動する人間を育てるため」と説明されました。 

今回の参加者は100人余。うち10代が7人で、市の広報などで知ったといいます。その一人は、「男女平等、自由に対する取り組みが充実していて、すごいと思った。ぜひフィンランドに行ってみたい」。若い世代の興味や関心を呼ぶ講演であったことがわかります。

 日本国憲法も個人の尊厳の尊重を大理念とし、教育の無償化や学問・表現の自由などをうたっています。フィンランドの魅力にも学びつつ、憲法が花開く希望ある日本をいっそう目指したいと、改めて思いました。

2022年5月18日水曜日

自然とホスピタリティ

  近場の温泉に久しぶりに出かけた。コロナ禍にあっても行動制限がなくなり、新緑の訪れに旅心も沸き立った。

途中、由緒ある寺に立ち寄る。境内は青もみじが彩り、清々しかった=写真=。

旅館では温泉に3回入浴。低アルカリ性の泉質は肌に優しかった。早朝の露天風呂からは露に霞む山々が望めた。

客室係は気さくな方で、コロナ禍では休館を余儀なくされたという。客足は戻ってきているが、まだまだ予断を許さないとも。室温などにも気遣い、帰途のさいは見送りに出てくれた。

自然にいやされ、ホスピタリティ(丁重なもてなし)に接した旅。日常への英気も養われた

2022年5月5日木曜日

平和のエネルギーに働きかける

  ウクライナでの痛ましい事態に毎日のように接し、多くの人々が悲しみや怒りを募らせています。この情勢下、改憲や軍事力強化の逆流も強まっていますが、平和を願うエネルギーは働きかけ次第で巨大化するということこそ、今日の決定的な特徴ではないでしょうか。5月3日の憲法記念日もそう痛感する一日になりました。

 昼下がり、私鉄駅前で行われた「生かそう憲法」スタンディング行動(地域の九条の会が主催)。14人が参加し、その一人、Oさんは40分ほどバスに乗って近隣の町から初めて駆け付けました。

 「これ、掲げてもよろしいですか」。持参したポスターには手書きでこう記されていました。「憲法は私たちの権利を保証し、権力者の権力の及ぶ範囲を制限するもの。自由を守ろう、9条を守ろう」=写真=

 Oさんらがポスターを掲げ、スピーチも行われるなか、「憲法改悪を許さない全国署名」には21人の市民がペンを走らせました。大勢の駅利用者が途切れることなく行き交う路上で、また、暑い日差しも降り注いでいましたから、立ち止まって氏名と住所を記す行為自体、けっして容易なことではありません。   

 一度通り過ぎたのち、引き返して来た綾瀬市の25歳の男性。「ロシアの戦争はやはりだめだと思う。なぜ話し合いや外交を大事にしないの?」と署名しつつ語りました。相模原市と多摩市の60代の女性2人組みは、「ウクライナでは町が壊され、大勢の市民が殺されてるでしょ。もう胸が痛くなる」と真剣な表情で話し、署名に応じました。

 同行動では初めて絵本の朗読も行われました。沖縄の小学一年生の詩「へいわって すてきだね」が紹介され、読み上げたSさんが感想を語りました。「子どもたちが見てくれた。毎回読みたくなりました」

 行動を終えて帰宅すると、90歳のAさんがやってきました。「憲法記念日までに集めたいと思ってね」と差し出されたのは憲法署名でした。その数、400筆。小学校教員時代の教え子や友人、近所の方に協力を依頼し、集めたとのこと。限りなく励まされたことはいうまでもありません。