2015年3月31日火曜日

活版印刷のぬくもり

 以前から興味を持っていた活版印刷。このほど同印刷で名刺をつくりました。

 活版印刷は一字ずつハンコのように彫った活字を木枠に並べて印刷されます。「活字組版(くみはん)印刷」の略語です。日本には16世紀にヨーロッパと朝鮮から入ってきました。より短い時間で印刷ができるオフセット印刷が普及するなか衰退したといわれていますが、いまショップカードやポストカード、ウェディングカード、名刺などに活用されています。

 依頼した印刷屋は夫婦で営む北陸の店。他県からの注文に驚かれましたが、対応が丁寧でした。校正用の画像はネットで送られてきて、再校正にも応じてくれました。
 仕上がりは、質感のある紙に活字がギュと凹みをもって印刷され、オリジナリティを生み出しています。手で活字の上をなぞると、無機質なデジタル印刷にはない、人のぬくもりも伝わってくるようでした。改めて日本に残したい活字文化の一つと思いました。

 店に感想を伝えると、返信がありました。
 「ありがたいお言葉をいただき、とても感謝しております。活版印刷が若い方を中心に見直されてきて、私どもも、もう少し頑張ろうと思っています」 
 活版印刷の柔らかな魅力とともに、前を向く人との出会いになりました。

2015年3月30日月曜日

背中を押されるように

 きょうは朝から暖かい日でした。近くの寺の桜もほぼ満開になりました(写真)。
 40年ほど前、この町に初めてやってきたときも同桜は満開で迎えてくれました。
 「桜って、こんなに綺麗なんだ」。華やかな咲き方に驚いたものです。育った北の地にソメイヨシノはありませんでした。
 そして背中を押されるように、新しい生活に歩み出しました。
  初心忘るべからず。
  春の息吹に接し、改めて思います。

2015年3月28日土曜日

勇気ある沖縄県知事のたたかい

 非常に勇気ある訴えだと思いました。米海兵隊普天間基地の沖縄県名護市辺野古への移設関連作業について、同県の翁長雄志知事が一週間以内に停止するよう沖縄防衛局に指示したことについてです。強大に見える安倍政権に対し、真正面から正論を述べたのです。
 これに対し、沖縄防衛局は同知事の指示の取り下げを求めて農水相に審査請求し、辺野古沖での作業を強行しています。しかし、沖縄県民はじめ多くの国民の怒りをいっそう増幅させることは必至です。

新基地反対こそ道理ある主張
 そもそも1996年に日米両政府が普天間基地返還に合意し、移設先として辺野古が浮上しましたが、新基地建設反対の声と運動は広がり、すでに18年が経過しています。なぜなら普天間基地は、米軍が強権的手段で住民の土地を奪い、建設した基地だからです。それを返すのに、なぜ辺野古への移設という条件付きなのでしょうか。無条件で返すことこそ、ことの経過からして当たり前です。新基地建設反対こそ道理ある主張にほかなりません。

世論に支えられる翁長氏
 沖縄では昨年、県知事選はもとより名護市長選でも移設反対派候補が勝利し、総選挙でも県内全4小選挙区で自民党候補が敗北しました。沖縄の民意は定まり、強固になっています。
 また、世論調査(「東京」2014年12月17日付)によれば、辺野古への移設について、「移設を計画通り進める」は27.3%に止まり、「移設計画をいったん停止する」と「移設を白紙に戻す」の合計は63.7%に上っています。
 面会を求める翁長知事を話し合おうともせず、ひたすら埋め立てに突き進む安倍内閣の姿勢にも、一方的ではないかとの声が立場の違いを超えて湧き起こっています。全国の世論は、沖縄の民意、翁長氏の訴えに寄り添う方向にあるといっても過言ではないでしょう。

平和な沖縄・日本へ
 太平洋戦争の末期、米軍上陸の最初の地となった沖縄県座間味村で26日、慰霊祭が営まれました。翁長知事は、平和を愛する沖縄の心を発信し続けたいとの電報を寄せました。心強い限りです。
  「翁長知事とともに新基地を許さず、平和な沖縄・日本へ」――この合い言葉で連帯の輪をいっそう広げたいと思います。(写真は、近隣の公園で満開になったアンズの花)

2015年3月25日水曜日

迫力があった高校生の吹奏楽

  近隣の高校吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行きました。12月に出掛けた高校とは違う高校の演奏会です。
  会場で配られた冊子に校長先生は「吹奏楽部は学校や地域に根付き、○○高校の文化の香りを高めています」と記していました。定期演奏会の企画・運営は伝統的に生徒が主体的におこなっているといいます。
 
 開会で檀上に並ぶ部員約40人。多くが女子生徒です。1曲目から爽快感や疾走感を感じる演奏が続きます。高校野球の応援歌などで聞いたことがあるラテン音楽やアニメ映画の主題曲などにもひき込まれます。

  なかでも印象に残ったのはプログラムで「Secret」と紹介されたパフォーマンスです。少しぎこちないけど、ほほ笑ましいコントやダンス、歌を交えて、管楽器や弦楽器、打楽器などのパートがそれぞれの特徴ある音色を披露。最後の横一列に並んでの演奏は迫力と一体感があり、壮観でもありました。
 生徒の自主性が発揮され、楽しそうに練習を重ねる姿も目に浮かぶ演奏会。また聴きにいきたいと思いました。(写真は、会場を沸かした高校吹奏楽部の定期演奏会)

2015年3月21日土曜日

春の到来に

  きょうは春分の日。太陽は赤道上にあって、真東から出て真西に沈みます。ちなみに当地の日の出は5時43分、日の入りは17時54分。これから昼の時間が長くなると思うと、気持ちも明るくなるようです。

 この時期、思い起こすのは、一昔前となった大学の入学試験時のことです。
  初めて訪れた北の街。駅前も、宿舎とした学生寮の周囲もまだ雪で覆われていました。当時の試験は2日間。旅程は2泊3日。学生寮は戦前の建造物で、夜は部屋のなかでさえ、しばれました。
  でも、受験雑誌に載った“若いのだから試験前日も遅くまで勉強しても大丈夫。最後の最後まで力を尽くせ”との体験談を2夜、忠実に実践。部屋の主である先輩が夜遅くまでストーブに石炭をくべ続けてくれたのです。
  発表日、遅れて届いた学生自治会の電報は「北の地に桜咲く」でした。湧き上がる喜びとともに、先輩への感謝の気持ちが広がりました。(写真は近くの寺の庭に咲くハクモクレン)

2015年3月19日木曜日

書評 軍事への透徹した認識と人間的視座              柳澤協二著『自分で考える集団的自衛権』(青灯社)を読んで

   いま、政府から次から次へと示される集団的自衛権の法制化問題。戦後日本の安全保障政策を大転換させる問題ですが、与党内でさえ十分に理解している人は驚くほど少ない(「毎日」3月6日付)といいます。
 このとき、防衛官僚を長年務めた著書がそれらの論点を、若者に読んでもらうことも想定して解明したのが本書です。「一番の反省点は、世の中の流れの本質を正確に理解できていなかったこと」と、防衛官僚時代を率直に振り返る著者。それだけに基本的立場は世の中の流れ=戦争の違法化に沿う方向にあります。集団的自衛権問題の本質を問う格好の書といえます。
 
世界中の紛争が武力行使の理由に
  安倍首相は集団的自衛権の代表例の一つとして、中東・ホルムズ海峡での自衛隊による機雷掃海を執ように説いています。同海峡で機雷がまかれると、「日本の存立が脅かされる」「備蓄した原油も不足する事態が想定される」というのが口実です。
  しかし著者は次のように指摘します。
  経済的危機が武力行使の理由になるというが、日本は1970年代の「オイル・ショック」、1980年代のイラン・イラク戦争のときも、91年の湾岸戦争のときも、石油の供給が止まる経験をしている。それに備えて供給先の多角化も進めてきた。また、中国は2010年、レア・アースの輸出を止めたが、こうした経済的危機も武力行使という理屈が成り立つのか。日本はコメと水以外のほとんどを輸入に頼っている。安倍氏の議論では世界中のあらゆる紛争が日本では武力行使の理由になりかねない。
  首相の議論が自分勝手で、武力行使ありきだということがよくわかります。

自衛隊 軽い気持ちでは使えない
  著者のこうした集団的自衛権批判は、軍事に対する透徹した認識に基づいていることはもちろん、人間的視座が反映されています。
  それは武力行使・戦争について、いったん開始すると、「最終的にはもう国力の差であり、最後はどちらかが息切れしてしまうところまでやらなければいけないことになってしまう」と、そのおぞましい結末を指摘することにも示されています。
  また、最近の集団的自衛権の議論のなかには「日本の防衛ならば」と称して個別的自衛権を肯定する見解も散見されますが、著者は「自衛隊というものは敵との戦いを前提にしたもの。軽い気持ちで使えるものではない」「集団的自衛権でなくても、個別的自衛権でも同じこと」と指摘します。つまり個別的自衛権も世界有数の軍事力である自衛隊を使う限り、それは「殺す・殺される」武力行使と同然だというのです。著者の“人間の眼”に共感を覚えます。
  そもそも紛争の解決では憲法9条をもつ日本にあっては、外交的手段や経済政策、国際連帯などの平和的解決策をいくらでも見出せるし、真剣に追求されるべきだ――本書を通して改めて考えさせられました。

2015年3月16日月曜日

しいたけ作りに参加 発生は二年後

  しいたけ作りに初めて参加しました。「なにか面白そう」「自然に成長するのは楽しみ」という興味本位からの“挑戦”です。

  作業場には長さ90㌢位のコナラの原木が用意されていました。コナラは休眠期(秋~冬)に伐採され、乾燥済みとのこと。
  まず、コナラにドリルで3㌢程の穴をいくつも等間隔で開ける作業から開始。ドリルを使うこと自体、慣れていません。躊躇していると、隣の経験者らしい人からアドバイス。
 続いて、開けた穴に菌のついた木製のコマを金づちで打ち込む「植菌」という作業に。これはさほど難しくありませんでした。
  
 今回は遮光シートでコナラを覆い、菌を活着させる「仮伏せ」の手前で終了(写真)。1カ月余、「仮伏せ」した後、直射日光が当たらない、風通しのよい場所に置く「本伏せ」に入ります。

  しいたけの発生は二回の夏を経過した秋からとのこと。まだまだ先です。でも楽しみが一つ増えた感じです。気長に待つこととします。

2015年3月15日日曜日

「戦争ができる国」は安倍政治の致命傷

箱根路に思いを馳せながら
  神奈川県箱根町の知人から署名の依頼がありました。安倍内閣の集団的自衛権行使に反対し、憲法9条を守りたいという「9条の会」の署名(写真)です。
  依頼文には、戦時中の学生は箱根駅伝を走りたくても、その思いかなわず学徒兵として戦場に散っていった、このことをしっかり受け止めて平和を守りたい、心からの一筆を、と記されていました。
 私も知人に署名をお願いすると、「了解。たぶん10~20人くらい書いてもらえます」との返事があり、確信を深めています。
  いま、こうした草の根のとりくみは日本の平和な進路を探るとき、極めて重要ではないでしょうか。

“なんでもあり” 実態は憲法の逸脱
  安倍内閣は昨年7月の閣議決定で集団的自衛権の行使を認めたのに続き、自衛隊の海外活動を“なんでもあり”とばかりに飛躍的に拡大する提案を次々におこなっています。自民党のことしの運動方針には「憲法改正賛同者の拡大運動を推進する」と、憲法問題での国民運動も掲げられています。
  これらは日本国憲法の逸脱、掘り崩しにほかなりません。
  集団的自衛権の行使は日本が攻撃を受けていないのに、第三国間の戦争に加担することです。歴代内閣も憲法9条で禁じられていると解釈してきました。9条は日本が二度と海外で銃砲火を交えることがあってはならないと、武力行使も交戦権も認めていないからです。
  安倍首相自身、先の施政方針演説(2月12日)で「集団的自衛権」の文言については一言も触れられませんでした。胸を張ってそれを言明できないのです。
 また、集団的自衛権への暴走については自民党元幹部からも、「戦後70年の外交安保政策の大転換を、閣議決定でなし崩しにやるべきではない」(山崎拓・元自民党副総裁、『週刊朝日』3月6日号)との苦言が呈されています。

平和のエネルギーは無限大
  せめぎ合いの情勢にも見えるなか、安倍内閣の「戦争ができる国」づくりをその致命傷に追い込むことは憲法上はもちろん、世論上も、運動上も大いに可能です。
  NHKの世論調査(3月9日放映)によれば、集団的自衛権行使を可能にするための法律の整備については「反対」が38%と、「賛成」の22%を上回っています。同議論の内容を「よく知っている」はわずか4%にとどまっています。
  「9条の会」のとりくみにも象徴される通り、平和を願う国民のエネルギーは無限大です。私も同エネルギーに依拠しつつ、暴走ストップの一翼を草の根から担いたいと思います。

2015年3月12日木曜日

ナポリタンが好きです

  ケチャプ味のスパゲッティ、ナポリタン。無性に食べたくなると、台所に立ちます。パスタは北海道産小麦「ゆめちから」。仕上がりはまろやかで、甘みがあります(写真)。
  食べながら、学生のとき、喫茶店で大盛りのナポリタンをガツガツ食べていたことを思い出したりします。
  いまも好物です。食べる量はさほど変わらないかもしれません。

2015年3月11日水曜日

忘れてはならない「東京壊滅」の危険性

散髪中の人も
  きょう3月11日、2時46分を私は電車内で迎えました。大地震発生時の訓練として数分間停車すると車掌がアナウンス。脳裏に浮かんだのは当然のように東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の日でした。
  あの日、私は東京都内を通行中でした。頭上で大きく波打つ電線、道路にうずくまる人、理髪店から白い刈布をつけたまま飛び出した散髪中の人。その夜は電車がストップしたため帰宅できず、職場にダンボールを敷いて泊まりました。

原発事故こそ日本を存立の危機に
   4年後のいま、安倍内閣と電力業界は原発再稼動への道のりをひたすら急いでいます。
   まだ福島の事故原因が分かっていないのに。溶け落ちた核燃料のありかも定かでないのに。汚染水さえ、いまだ止められないのに。放射性廃棄物の最終処分場がまだ一つも決まっていないのに。福島の12万人もの避難者がいまだ故郷に帰れないのに。
   加えて福島原発事故が「東京壊滅」という国家的危機に陥る危険性をもたらしたことも忘れてしまったかのようです。事故当時、官房長官の秘書官は「原発内部で何が起きているのか、全くわからない。東京から撤退する外国要人が続出している。もうダメかもしれない」と漏らしています(「東京」2014年11月4日付)。
   いま安倍内閣は「国の存立」を口実に戦争法制の要綱を打ち出していますが、原発事故こそ日本を存立の危機にひんさせるものにほかならないのです(山口二郎法政大教授、「東京」3月8日付)。

人格権 最大限尊重を
   原発再稼動への暴走は断じて許されません。
   昨年5月、福井地裁は大飯原発の差し止めを命じる判決を出しました。憲法の保障する人格権の見地から考察を加えています。原発問題で政治は、国民の生命や幸福追求の権利を最大限尊重する立場に立って責任を果たすことが求められているのです。(写真は「東京」3月11日付、放射能に汚染された土や草木が袋の中に=福島県富岡町)

2015年3月10日火曜日

戦争の苦しみ伝えたい 海老名香葉子さんら平和の集い  

 2時間で10万人以上が亡くなった東京大空襲(1945年10月10日)から70年。犠牲者を悼み、平和への願いを広げる供養式と集いが9日、東京・上野で開かれました(写真)。
 大空襲で両親ら家族6人を亡くしたエッセイストの海老名香葉子さんが毎年開いており、ことしで11回目。小雨の降るなか、全国から1500人が参列しました。
 
 海老名さんはあいさつで、犠牲になった親兄弟が戸籍で「行方不詳」とされているため、自身、遺族扱いされていないことを指摘。「せめてお国に遺族と認めて欲しい」と声を詰まらせながら語るとともに、「みなさん、次の世代に戦争の苦しみを伝えるために、話して、ものを書いて、残してください」と訴えました。

 台東区立根岸小学校の女子児童は、戦争孤児を題材にした海老名さんの著書『さくらいろのハンカチ』の感想を次々発表しました。
 「戦争のない平和な世の中が永久に続くことを願っています」
 「戦争がこわい。せっかくもらった命を戦争でなくしたくない」
 「戦争、それはこの世の中でもっともしてはならないこと」
 会場からは「偉い」との共感の声が飛びました。また、同校6年生95人は「平和の鐘」を力強く合唱し、大きな拍手が送られました。
 
 海老名さんの次女で歌手の泰葉さんは、海老名さんの亡き母や家族への思いを自ら歌にした「桜舞う日は」を熱唱。長男林家正蔵、次男同三平両氏もあいさつし、三平氏の妻で女優の国分佐智子さんが司会を務めました。

 集いには私も1回目から毎年参加してきました。「私個人が始めたこと」(海老名さん)が年々盛大になり、平和を願うエネルギーの力強さや、その思いが若い世代に着実に受け継がれつつあることを実感しています。

2015年3月6日金曜日

行事案内 「時忘れじの集い」9日に開催

 東京大空襲の犠牲者を悼み、平和への願いを広げる「時忘れじの集い」が開かれます。
 主宰はエッセイストの海老名香葉子さん。「70年の節目、二度と戦争のなきよう、心からのご供養と天まで届く平和への祈りを捧げましょう」と呼びかけています。
 だれでも参加できます。
         ◇
○3月9日(月)
○第一会場 慰霊碑「悲しみの東京大空襲」午前10時 上野駅下車 上野公園口右へ4分
○第二会場 平和の母子像「時忘れじの塔」午前11時30分 上野駅下車 上野公園口3分 駅に案内あり

2015年3月4日水曜日

「笑いかけ」

 寒い、寒いと思っていた2月も過ぎ、3月を迎えました。
 近所の桜の木もつぼみをつけ始めました(写真、3月2日)。
 つぼみがふくらみかけた状態を「笑いかけ」というそうです。咲き誇る桜への期待がふくらみます。
 東京の桜の開花予想は26日。すぐそこまで春がやってきています。