2022年6月30日木曜日

えっ、国分寺跡横に

 「圧迫感があり過ぎだよ」。ラジオ体操仲間のNさんが顔を曇らせながら言いました。

 ラジオ体操会場の相模国分寺跡広場=写真=のすぐ横に、14階建てのマンションが建てられようとしています。高さ43㍍。現在、周囲にそうした高さの建造物は皆無です。Nさん宅はマンション予定地に隣接しています。

 相模国分寺は、741(天平13)年の「国分寺建立の詔(みことのり)」により、海老名に建立されました。諸国の国分寺でも珍しい法隆寺式の伽藍(がらん)配置で、東西240㍍、南北300㍍以上という広大な寺域でした。1921(大正10)年には礎石や基壇の一部が残っていたことから、国の史跡となりました。 

現在、緑の芝生が広がり、開放感があふれる同史跡広場。青空を広く仰ぐことができ、丹沢の雄大な山並みも望めます。子ども盆踊りやお茶会の会場として、また、能の舞台としても使われています。市民に親しまれる貴重な歴史的資源にほかなりません。

海老名市の景観条例に基づく景観推進計画(2009年)でも、「本市の景観の基盤」と位置づけられ、周辺の建造物には「突出しない高さとする」と、事実上の高さ規制が課せられています。今回の建設業者にも、コンプライアンス(社会規範遵守)が求められることは当然でしょう。 

地元の自治会が「国史跡の景観を守ろう」と署名運動に立ち上がっています。署名の呼びかけ文には、「悲観も楽観もせず、たんたんと進めます」と記されています。

2022年6月22日水曜日

水色のTシャツ

   Tシャツをいただいた。半そでの水色で、しなやかな生地だ=写真=。

一つ、気がついた。通常は縫い合わせている脇下の両サイドに縫い目がない。なぜだろう?。製造元の会社に電話をかけると、応対したTさんの説明が丁寧だった。

丸い円柱状の反物をサイズごとに裁断しているという。反物のロスが少なくて済むし、縫い目がないほうが肌に触れたとき、ストレスがかからず、着心地もよいはずと。加えて、襟元が「ダラーと伸びないように」縫っていることもこだわりだと話す。 

同社のTシャツは「日本製の原点」が売りだ。1950年代半ば、まだTシャツという呼び名が広く知られていない時代、「色丸首」というTシャツの先駆けを縫い上げた。

きっかけは、空襲で焼け野原になった東京に駐留した米軍の兵士が着ていたシャツだった。それまで下着とされていたシャツだが、「染めると、外出着になる」との発想が生まれたという。大手との競争もあり、「つらいときもあった」が、実直に日本製Tシャツの専門店としてモノづくりに励む。

「最近は日の目がちょっこと見えたかな」と話すTさんに、ラジオ体操などに着て行くと体を動かしやすいですよと伝えた。「ありがとうございます。こんど店にぜひお寄りください」と明るい声が返ってきた。


2022年6月20日月曜日

Fさん

   昨年、えびな・九条の会の会報読者に。折り込まれていた憲法改悪反対署名を知人らに声をかけて集めました。「いま戦争に進む空気があるけれど、戦争は地獄。憲法9条は守らないと」

東京都出身の93歳。戦争中の中学時代、露店商で忙しい親の代わりに千葉や茨城へ食料の買い出しに。交換用の着物などがなく、農家に言われた鍋を買い、リュックに詰めて出かけたこともあります。

学校に行っても動員や軍事訓練ばかりでした。動員先は造船所。爆弾を積む一人乗りの特攻艇がベニヤ板で造られていました。

東京大空襲では向島(墨田区)の自宅が全焼。荒川の土手まで逃げ、見下ろすと火の海でした。「そのあとはあっちこっちを転々と。思い出したくないね」

戦後、左官や大工の手伝いなどを経て、役所の清掃課に勤務。地域では自治会長も。7年程前、厚木市の自主夜間中学えんぴつの会を知り、勉強したいと思いました。 

毎週木曜日、リュックに教材やノートを詰め、バスと電車を乗り継いで会へ。ボランティアの前川喜平元文科省事務次官からは憲法について、国民のためにあると教わりました。

「行くたびに勉強になる」。前を向いて歩んできた人生です。

2022年6月18日土曜日

軍事費と幸福度

 


   政府は軍事費を5年以内に現在の2倍、11兆円余にするという。これでは世界第3位の軍事大国になる。

困ったときの社会的支援や国民の健康寿命、自由度などをもとにする国連の幸福度調査。このトップ10に、軍事費トップ10の国は一つも入っていない。

大軍拡は戦争の引き金になり、くらしも押しつぶす。今でも54位と低迷する日本の幸福度が、さらに低下するのはゴメンだ。