2015年3月19日木曜日

書評 軍事への透徹した認識と人間的視座              柳澤協二著『自分で考える集団的自衛権』(青灯社)を読んで

   いま、政府から次から次へと示される集団的自衛権の法制化問題。戦後日本の安全保障政策を大転換させる問題ですが、与党内でさえ十分に理解している人は驚くほど少ない(「毎日」3月6日付)といいます。
 このとき、防衛官僚を長年務めた著書がそれらの論点を、若者に読んでもらうことも想定して解明したのが本書です。「一番の反省点は、世の中の流れの本質を正確に理解できていなかったこと」と、防衛官僚時代を率直に振り返る著者。それだけに基本的立場は世の中の流れ=戦争の違法化に沿う方向にあります。集団的自衛権問題の本質を問う格好の書といえます。
 
世界中の紛争が武力行使の理由に
  安倍首相は集団的自衛権の代表例の一つとして、中東・ホルムズ海峡での自衛隊による機雷掃海を執ように説いています。同海峡で機雷がまかれると、「日本の存立が脅かされる」「備蓄した原油も不足する事態が想定される」というのが口実です。
  しかし著者は次のように指摘します。
  経済的危機が武力行使の理由になるというが、日本は1970年代の「オイル・ショック」、1980年代のイラン・イラク戦争のときも、91年の湾岸戦争のときも、石油の供給が止まる経験をしている。それに備えて供給先の多角化も進めてきた。また、中国は2010年、レア・アースの輸出を止めたが、こうした経済的危機も武力行使という理屈が成り立つのか。日本はコメと水以外のほとんどを輸入に頼っている。安倍氏の議論では世界中のあらゆる紛争が日本では武力行使の理由になりかねない。
  首相の議論が自分勝手で、武力行使ありきだということがよくわかります。

自衛隊 軽い気持ちでは使えない
  著者のこうした集団的自衛権批判は、軍事に対する透徹した認識に基づいていることはもちろん、人間的視座が反映されています。
  それは武力行使・戦争について、いったん開始すると、「最終的にはもう国力の差であり、最後はどちらかが息切れしてしまうところまでやらなければいけないことになってしまう」と、そのおぞましい結末を指摘することにも示されています。
  また、最近の集団的自衛権の議論のなかには「日本の防衛ならば」と称して個別的自衛権を肯定する見解も散見されますが、著者は「自衛隊というものは敵との戦いを前提にしたもの。軽い気持ちで使えるものではない」「集団的自衛権でなくても、個別的自衛権でも同じこと」と指摘します。つまり個別的自衛権も世界有数の軍事力である自衛隊を使う限り、それは「殺す・殺される」武力行使と同然だというのです。著者の“人間の眼”に共感を覚えます。
  そもそも紛争の解決では憲法9条をもつ日本にあっては、外交的手段や経済政策、国際連帯などの平和的解決策をいくらでも見出せるし、真剣に追求されるべきだ――本書を通して改めて考えさせられました。