2015年3月11日水曜日

忘れてはならない「東京壊滅」の危険性

散髪中の人も
  きょう3月11日、2時46分を私は電車内で迎えました。大地震発生時の訓練として数分間停車すると車掌がアナウンス。脳裏に浮かんだのは当然のように東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の日でした。
  あの日、私は東京都内を通行中でした。頭上で大きく波打つ電線、道路にうずくまる人、理髪店から白い刈布をつけたまま飛び出した散髪中の人。その夜は電車がストップしたため帰宅できず、職場にダンボールを敷いて泊まりました。

原発事故こそ日本を存立の危機に
   4年後のいま、安倍内閣と電力業界は原発再稼動への道のりをひたすら急いでいます。
   まだ福島の事故原因が分かっていないのに。溶け落ちた核燃料のありかも定かでないのに。汚染水さえ、いまだ止められないのに。放射性廃棄物の最終処分場がまだ一つも決まっていないのに。福島の12万人もの避難者がいまだ故郷に帰れないのに。
   加えて福島原発事故が「東京壊滅」という国家的危機に陥る危険性をもたらしたことも忘れてしまったかのようです。事故当時、官房長官の秘書官は「原発内部で何が起きているのか、全くわからない。東京から撤退する外国要人が続出している。もうダメかもしれない」と漏らしています(「東京」2014年11月4日付)。
   いま安倍内閣は「国の存立」を口実に戦争法制の要綱を打ち出していますが、原発事故こそ日本を存立の危機にひんさせるものにほかならないのです(山口二郎法政大教授、「東京」3月8日付)。

人格権 最大限尊重を
   原発再稼動への暴走は断じて許されません。
   昨年5月、福井地裁は大飯原発の差し止めを命じる判決を出しました。憲法の保障する人格権の見地から考察を加えています。原発問題で政治は、国民の生命や幸福追求の権利を最大限尊重する立場に立って責任を果たすことが求められているのです。(写真は「東京」3月11日付、放射能に汚染された土や草木が袋の中に=福島県富岡町)