2014年12月3日水曜日

人としての道 菅原文太さんをしのんで

   「いつも静かに本を読んでいました」。弟子であったという俳優の宇梶剛士さんはその横顔をこう語っています。「いつも弱き者の味方でした」とも。
  俳優の菅原文太さんが亡くなりました。東日本大震災被災者への支援や脱原発に務め、つい最近は沖縄県知事選で新基地建設反対を訴えた翁長雄志候補の応援にも参加しました。

  これまでの菅原さんの発言でとりわけ印象的なのは、憲法について「戦争放棄の9条は守るべき」ときっぱり語っていたことです。あの戦争で多くの国民が肉親等をなくしたことを、「忘れたくない」とも述べました。戦争反対の根底には、小学6年生のとき太平洋戦争が始まり、疎開先の屋根の上から空襲を受けた仙台の空が真っ赤に見えたという戦争の記憶もありました。

  妻、文子さんは菅原さんについて、“朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり”の心境で日々を過ごしてきたといいます。人としての道を悟ることができれば、すぐに死んでも悔いはないという中国の思想家孔子の言葉です。
 
 旺盛な読書や進歩的な活動を戦争体験の上に積み重ねて、「人としての道」を探究し続けた菅原さん。その生き方に改めて感銘を覚えています。(写真は「スポーツニッポン」12月2日付)