2015年4月16日木曜日

沖縄の新基地は必要とされていなかった  最初の日米合意が示すもの

 4月8日の日米防衛相会談で、名護市辺野古への新基地建設について、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の危険性を除去するための「唯一の解決策」と、改めて確認されました。本当にそれ以外の道は皆無なのでしょうか。最初の日米合意では今日の内容と大きく異なっていたからです。

返還の願いに歩み寄る
 普天間基地問題の日米間の最初の合意は、19年前の1996年4月に交わされました。同12日、橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使(いずれも当時)は、普天間基地を「今後5年ないし7年以内」に日本に「全面返還」することで合意。沖縄にすでに存在している米軍基地のなかに新たにヘリポートを建設することを申し合わせたのです。つまり、ここには「返還」はあっても、「移設」や「新基地建設」の文言はなかったということです。
 市街地の中心にあって、地元市民に墜落事故の不安や騒音の被害を与え続ける普天間基地。96年の日米合意の背景には、日米安保体制を維持しつつも、沖縄県民の返還の願いに歩み寄る姿勢が双方に見られたことは否定できません。
 共同発表のさい、モンデール氏は、米軍基地のなかに新たにヘリポートを造る計画について、「兵力や基地の能力、即応性が低下することはない」と述べて日米軍事同盟に影響がないことを表明。橋本首相は、「沖縄のみなさんの強い要望に可能な限りこたえるものである」と述べて胸を張りました。

「オール沖縄」の広がりに
 この合意はそのご、普天間返還の条件に「県内での代替施設」完成が加えられ、当初のヘリポートとはまったく異なる恒久的な新基地の建設へと、変遷をたどります。
 しかしそれは結局、沖縄や全国の人びとの怒りを増幅させ、「オール沖縄」といわれるように、日米安保体制に賛成する人をも含めて新基地建設反対の声を広げています。
 この事態は日米両政府にとって大きな脅威です。オバマ政権の国防政策に強い影響力を持つシンクタンク、新米国安全保障センターのパトリック・クローニン上級顧問が最近の普天間問題に関わって、「米軍の安定的なプレゼンスを維持するためには日本社会の支持が重要だ。問題を深刻に受け止めている」(「毎日」4月12日付)と述べた発言にも示されています。
 日米両政府は普天間問題の打開策を、真剣に熟考する段階を迎えています。(写真=15日の日中は温かく、公園の気温計は19度を記しました)