2016年8月26日金曜日

「シールズ」の種は飛び、広がってまた芽を出す

励まされる賢明な勇気
  学生団体「シールズ」の発言や活動から考えさせられたことは少なくありません。その一つは、民主主義のあり方、とりわけ日常から主権者として生きることについてです。
  メンバーの一人、奥田愛基さんは、政治参加にふれて、選挙の投票時だけならば、何年かに一度のたった数秒の投票で終わってしまうと述べつつ、「日ごろから主権者としてこの国の政治や社会の問題を考え、行動しなくては。社会は一気に変わらないのだから」(「東京」2015年8月22日付)と指摘しています。
  確かに、市民が人間らしく毎日を生きようとすると、悪政が押し付けられ、貧困や格差が広がる現在にあっては、政治や社会にそれこそ頻繁に意思を示すことは非常に重要です。市民運動は日常から必要であり、集会やデモ、署名、学習会などは不可欠といえます。筆者も「市民運動にがんばらなければ」と背中を押される思いがしました。
  同時に、集会やデモが「民主主義にとっての大事な権利」として市民にいつでも保障されているかというと、必ずしもそのようなことはありません。
  沖縄県東村高江では米軍ヘリパッド(着陸帯)建設工事反対の運動に警察の弾圧行為が相次ぎ、神奈川県海老名市では静止してプラカードを掲げる「マネキン・フラッシュ・モブ」にさえ条例違反の命令書が市から下されています。さらに安倍政権は、市民団体や労働組合も相談の集まりをもっただけで処罰対象になりかねない共謀罪の法案を9月召集の国会に提出しようとしています。
  シールズは、中傷等が吹き荒れても集会やデモで、安保法制=戦争法の問題点やおかしいと思ったら声を上げる意義について、決まり文句ではない自分の言葉で語り続けました(写真=国会前デモ、2015年9月18日)。主権者としての賢明な勇気の発揮です。民主主義を守る諸運動にその健闘を十分に生かさなければと思います。

大きな希望が生まれている
   二つ目は、シールズも原動力となり、野党共闘が実現したことです。
  今回の野党共闘の中心課題は戦争法の廃止でした。  攻撃を受けていない日本が他国を武力で守る集団的自衛権の行使は、憲法9条で禁止する武力行使そのものです。歴代政権は同行使を憲法違反としてきましたが、安倍政権はそれを可能とする戦争法案の採決を強行。「独裁的に国会運営をして、実質的に憲法停止状態をつくってしま」(憲法学者の樋口陽一氏、『「憲法改正」の真実』)いました。
  国民の運命を左右するような状況下、参院選の32の一人区すべてで成立した野党共闘は、戦後史上はじめての選挙協力であり、政権に異議を唱える民意や憲法回復の受け皿をめざす取り組みになりました。
  結果は、改憲勢力が伸長したとはいえ、野党共闘は貴重な成果を挙げました。統一候補は11選挙区で激戦を制して勝利したのをはじめ、28選挙区では野党4党の比例代表の合計得票より統一候補の得票が上回るという「足し算」以上の成果を創出。投票率の上昇幅が前回と比べて大きかった選挙区の上位を一人区が占めるという民主主義の前進もありました。
  さらに今回の参院選で見落せないのは、シールズが複数の定数をもつ選挙区でも、野党共闘に参加する政党とその候補者を応援したことです。野党共闘の前進を展望した、「党派選挙」への協力という新しい選挙戦でもありました。
  今後、衆院選などでも野党共闘をより進展させ、安倍・自公政権と違う国民本位の政策や政権の選択肢を示すならば、「代わるものがいない」という現況を乗り越えて有権者の関心を高め、新しい政治をつくり出す極めて重要な機会となります。大きな希望が生まれています。

きっとどこかで
  シールズは15日に解散しましたが、まいた種は飛び、広がってまた芽を出すことでしょう。そして、「終わったというなら、また始めましょう」というのが彼らの立場です。きっとどこかでまた会えると思うと、胸がふくらんでくるようです。