2015年6月15日月曜日

歴史的な誤りを犯すな

 戦争にさらに近づこうというのでしょうか。科学兵器が発達する現代の戦争では勝者も敗者もなく、廃墟だけが残ります。恐ろしいことです。
 中谷元・防衛相は衆院の安全保障特別委員会(6月10日)で、集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈について、安全保障環境がさらに変化すれば、再び変更する可能性があるとの認識を示しました。
 憲法より、自分たちの安全保障の考え方が上であると言わんばかりです。国家権力を抑制する憲法の立憲主義に背を向けて、集団的自衛権行使の範囲がいっそう拡大される懸念は否定できません。

狙いは米国の戦争にいつでもどこでも協力すること
 だいたい、「安全保障環境の変化」なる実態は何か。日本が攻撃を受けていないのに、他国の戦争に参戦する集団的自衛権の行使の理由に安倍政権はそれをあげていますが、中谷防衛相は「グローバルなパワーバランスの変化」(11日、参院外交防衛委員会)など抽象的な説明に終始しています。国民の生命や日本の存立を根本から脅かすことの証明などはまったくできません。日本が直接攻撃を受けていない状況だけに、それは当然といえば当然です。世界で集団的自衛権が行使された事例14件のほとんどが他国の領土で行われています。
 要は集団的自衛権ありきです。その行使を眼目とする戦争法案の真の狙いが、米国の戦争にいつでもどこでも軍事協力することにあるからです。

非人道的な弾薬の輸送に手を貸すことに
 実際、戦争法案は、米国の要求に従って自衛隊が弾薬の輸送・提供まで行うとしています。これまで政府も他国軍の武力行使と一体化するとして見送ってきた戦闘支援であり、非人道的で残虐な弾薬の輸送に手を貸すことになりかねません。
 2003年からのイラク戦争で米軍はクラスター爆弾やナパーム弾、白リン弾などを使用しました。イラク派兵訴訟弁護団の川口創・事務局長によれば、クラスター爆弾の地雷化した子爆弾によってイラクの多くの子どもらが命を落とし、破壊力抜群の焼夷弾であるナパーム弾で多くの民間人が焼殺。イラク中部のファルージャでは死亡者数が少なく見積もっても2080人と、イラク暫定政府から発表されています。
 集団的自衛権の行使とその拡大の危険性は、言葉に尽くせないものといっても過言ではないでしょう。

集団的自衛権の禁止は普遍的な到達点 
 そもそも日本国憲法9条1項は武力行使と戦争を永久に放棄しています。続く同2項は一切の戦力の保持と国の交戦権を否認しています。現憲法下、海外で戦争する集団的自衛権の行使は、解釈をどんなに変更しようとも不可能です。
 あの十五年戦争は「自存自衛」、日本が生きるために等の口実ですすめられました。この反省に立つ憲法前文が訴える通り、政府の行為による戦争の惨禍を二度と起こさないとの平和への決意は限りなく重いものがあります。集団的自衛権行使の否認は、時々の状況を超えて維持されるべき普遍的な到達点といえます。
 中谷氏は2013年8月の月刊誌の対談で、集団的自衛権についてできるとは言えないと述べつつ、「政治家として憲法解釈のテクニックでだましたくない」と語っていました。歴史的誤りを犯さないためにも、その“初心”に立ち戻るべきではないでしょうか。(写真=「平和」の字で彩られた花壇)