2019年5月19日日曜日

松本清張展で思い起こしたこと


横浜に足を延ばし、作家・松本清張(19091992)の特別展(県立神奈川近代文学館)を観覧しました。「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」などの作品で知られる清張。それらを筆者も10代のころ、読みふけった一人ですが、会場には若い世代も含めて多くの人が詰めかけ、ファンの広さを示していました。

清張は、福岡県生まれ、高等小学校卒、給仕、印刷所の版下工などの経歴で知られます。その青年期の展示資料で注目したのは、20歳(1929年)のとき、全日本無産者芸術連盟の機関誌「戦旗」を福岡・八幡製鉄所の文学仲間から借り、小林多喜二や徳永直らの小説を読んだことを理由に、“アカ狩り”(共産党検挙)とする小倉署に検挙・留置されたことです。
同展の説明文には、「(清張の)まなざしは一貫して時代の陰で苦しみながらも懸命に生きる個人に注がれていた」との一文がありました。そうした庶民に寄り添う氏の視座にもつながる弾圧体験であったのでしょうか。

関連して想起したことは、清張が1967年に「明るい革新都政をつくる会」の呼びかけ人に加わり、1982年には平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会(全国革新懇)の代表世話人に選出されていることです。両会とも、都政の刷新、国政の革新をめざす政治的共同組織です。
全国革新懇代表世話人の就任に際しては、憲法9条の改悪と天皇元首制の復活に警鐘を鳴らすとともに、「平和、民主主義の集まりに喜んで参加させていただいた」とあいさつ。翌1983年の全国遊説では山口県宇治市で1500人の聴衆を前に、戦争は火の手が広がる前に国民が手を取り合って消す必要があると述べつつ、次のように呼びかけています。

「どうか皆さん、私たちの子どもや孫に、おじいさんががんばらなかったから、自分はこうして兵隊にとられるんだ、戦場へかり出されるんだというような恨みを持たれないように、今から一生懸命にやろうじゃありませんか」

平和や民主主義を守り、政治革新をめざす運動に身を投じた清張。それは、「昭和史発掘」や「日本の黒い霧」等の作品に示される社会悪の追及という文学上の立場の社会的な実践でもあったのでしょう。今回の清張展のタイトル「巨星」との文言の通り、その業績は今日も輝き、私たちへの心強いメッセージとなっています。