2017年7月22日土曜日

野際陽子さんをしのんで

きっぷの良さのなかに 
  女優の野際陽子さんに、『脱いでみようか』(扶桑社)という少し刺激的なタイトルの著書がある。発行は1996年1月だから、ちょうど野際さんの還暦の年だった。
 同書に所属事務所の花見にふれた文章がある。場所は文京区小石川の桜並木。宴が盛り上がった頃、そばに陣取る学生たちの宴もにぎやかだった。事務所のN社長に、「行って演(や)んなきゃ!女優・のぎわようこなんだから―」と背中を押された野際さん、学生の輪のなかに飛び込む。
  「自己紹ォ介しまァすゥ」「のーぎーわーよーォーこー!富山県シュッシーン!立教大学シュッシーン!エヌエイチケイ、シュッシーン!」「今、『ジューンブライド』っていうドラマに出ているゾー。みんなちゃんと見ろよオ!」
  「見るゾー」と答える学生たち。「イッキいきまーす!」と言いながら、ドンブリの酒を一息で飲み干す野際さん。学生らの宴席につまみなどが全くないことを知ると、たこ焼きと一升瓶を差し入れてしまう。「ご馳走様でした」と言って帰っていく学生たち。
  きっぷの良さが伝わってくる場面だ。併せて学生らにも触れて次のように記している。
 「世の中はとても殺伐と暗いけれど、一日一日を真面目に、堅実に、そして楽しさも忘れずに頑張っている人達が沢山いるのだ」

戦争がないってすばらしい
  ユーモアのセンスがあって、庶民の目線をもつ。そんな野際さんが6月、81歳で亡くなった。2度仕事でお会いし、親近感も覚えていたので、しばらくの間、胸のなかに空洞ができたみたいだった。
  最初は1996年3月28日、フジテレビの社屋がまだ曙橋(新宿区)にあったとき、同会議室でお会いした。さっそうと現れ、平和に関わる問いに身を乗り出すように語る姿(写真)は格好良かった。
  敗戦時は小学4年生。幼い心にも戦時中は飛行機がいつ飛んでくるかもわからないという恐怖感があり、「ぱぁと解放された8月15日以降は全然違う夏休みになった。戦争がないってすばらしいと思いました」。
  娘が中学生だったときの教科書には、県立広島第二中学の親が原爆で死んだ子どもたちの最期を語った手紙「碑(いしぶみ)」が載っていた。「胸がつぶれるような作品です」と感情を込めて振り返った。前年のフランスの核実験についても、「好きな国だけに、そういうのはいやです」ときっぱり反対を表明した。

自由で誠実に生きたい
  2度目にお会いしたのは2011年8月11日。暑い昼下がり、市ヶ谷の喫茶店にニコニコしながらシックな服装でやってきた。再会を喜んでくれ、打ち解けた雰囲気のなかで取材が進んだ。
  同年3月に福島原発事故が発生していた。牛を飼う農家の惨状にふれて、「涙が出てきます」と心を寄せ、原発について「『だめだな』と思います」とはっきり語った。
  印象的であったのは、生きるうえで大事にしていることはとの問いに、「私は自由でいたいと思っています」と語ったこと。「自分の考え方、生き方は自分で選択したい。そして一生懸命誠実に生きる。悔いのないように生きていたい」。
  平和はもとより、自由や誠実が人生の大切な価値だった。不誠実な発言が与党政治家や官僚から平然とのべられる昨今、その聡明さや清々しさが懐かしい。