2015年5月12日火曜日

「安保環境悪化」論は戦争への道

集団的自衛権行使の最大の理由だが…
 安倍晋三政権は、米国などを武力で守る集団的自衛権行使が眼目の安保法制を今国会で成立させようとしています。その最大の理由は、「日本の安全保障環境の悪化に対応するため」と説明されています。日本を取り巻く軍事情勢が悪化したからという、一見もっともらしい理屈です。
 しかし実態は、日本が攻撃を受けていないのに、海外で米国などとともに武力行使ができるという憲法違反の道です。

特異な政治信念の押し付け
 まず、「安保環境悪化」なる説と集団的自衛権を結びつける議論は、すでに第一次安倍内閣時(2006~07)に述べられていました。しかし、そのごの内閣(福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦)では同議論は唱えられていません。それが再び安倍内閣(2012年)ができると、また出てきた。しかも国民世論はといえば、いかなる調査でも集団的自衛権をいますぐ必要だとする意見が多数を占めたことは皆無です。
 つまり安倍内閣の集団的自衛権行使論は、情勢や世論からではなく、特異な政治信念や情念から発しています。その端的な内容は、安倍氏が2004年に出版した『この国を守る決意』(扶桑社)に記されています。
 「軍事同盟は血の同盟。…しかし、今の憲法解釈では日本の自衛隊はアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。…それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
 要するに、米国のために自衛隊が血を流してこそ、同国と対等平等になれると訴えているのです。ここでは血を流すことが自衛隊員の命が失われることをも意味します。安倍氏には、戦地に送られる自衛隊員一人ひとりに親も家族もいると、もっと想像力は働かないのでしょうか。
 中野晃一上智大学教授はこうした安倍氏の政治信念の背景に、「アメリカのパワーエリート(軍事力を信奉する指導層)に対等に扱ってもらいたいというコンプレックスがある」と、“個人的事情”の存在も指摘しています。
 その挙句、日本の主権や独立に背を向けて、人間の尊厳もじゅうりんするというのは、けっして許されません。

米国と共同し、生じるのは侵略戦争の危険
 安倍内閣の「安保環境悪化」論の主要な矛先の一つは、中国です。同首相は先の訪米中も、日米が共同で戦争を行うための新指針=新ガイドラインを踏まえて、「中国による南シナ海、東シナ海の活動にしっかり対応していく」(4月30日、日本テレビで)と、中国の国名と活動地域を挙げる踏み込んだ発言を繰り返しました。南シナ海等で米軍に協力して警戒監視活動などを行う意向を示したのです。
 南シナ海は海洋進出を強める中国が周辺諸国と摩擦を起こしている地域です。首相は米国とともに、中国とパワーゲームで渡り合いたいというのでしょうか。
 ここで見落としてならないのは、米国との共同作戦が侵略戦争の危険を強める道だということです。
 米国は2003年に違法な先制攻撃のイラク戦争を起こしました。その口実は、「大量破壊兵器を保有し、世界の安全保障環境を脅かしている」。安倍内閣の安保法制の理由と似た主張です。
 この戦争ではイラクだけで100万の命が失われた(核戦争防止国際医師会議『ボディー・カウント』)といわれていますが、大量破壊兵器は米軍の捜索でも発見されず、CIA(米中央情報局)の情報に誤りがあったことが明らかになっています。ブッシュ米大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と自己批判せざるを得ませんでした。イラク戦争は不正義の侵略戦争にほかならなかったのです。
 にもかかわらず日本の当時の小泉政権は、「アメリカの武力攻撃を理解し、支持します」と公言し、航空自衛隊をクウェートなどに、陸上自衛隊をイラウ・サマワに派遣。大量破壊兵器に関わる米情報が誤りであったことが明らかになっても、そのごの自民党政権も含めて、米側に抗議を行っていないばかりか、戦争協力の責任も取ろうとはしていません。
 こうした侵略戦争を繰り返す米国と、それに追従し不誠実な態度を取り続ける自民党政権による共同作戦が、どうして日本の国益や世界の安全に適うものになるのでしょうか。
 なお、中国とは尖閣諸島をめぐる議論もありますが、仮に「占有」等を起こしたならば、それは戦後70年、憲法9条のもとで他国を侵略しない平和国家として歩み続けてきた日本への侵攻として、世界から強い非難を浴びることは必至というものでしょう。

戦争は国民生活すべてを犠牲に
 最近読んだシナリオライター・山田太一さんのエッセイ集『月日の残像』(新潮社)に、15年戦争当時、浅草の自宅(食堂)が空襲の延焼をくい止める空地にとの国の方針で、取り壊されたことが記されています。
 「立ち退き先を用意してくれるわけでもない。店が惜しいなんていったって、それがどうした、戦争をしているんだぞ、である」
 戦争のもとでは国民生活すべてが強権的に犠牲にされることが示されています。暗黒時代を二度と繰り返してはなりません。安倍政権の安保法制と称する「戦争立法」にストップをかけたいと思います。