2015年1月24日土曜日

平山郁夫さんと平和

濃淡ともなう彩色の美しさ
 最寄りの自治体が主催する日本画家・平山郁夫さん(1930~2009)の作品展に行ってきました。会場には鑑賞者が次々と詰めかけていました。
  戦後日本の日本画家を代表する一人、平山さん。今回、印象に残った作品は、「アフガニスタンの砂漠を行く・日」と「同・月」でした。縦1㍍71㌢、横3㍍64㌢という大型の二枚の本画です。ラクダに乗る7人のターバン姿の男性が一枚は金色に照らす太陽と、もう一枚は夜を青く包む月とともに幻想的に描かれています。絵に近づいて目を凝らすと、重厚な塗り重ねが濃淡をともなって彩色され、美しさを際立たせていました。

アフガニスタンやシリア等を150回訪問
  平山さんの「シルクロ-ド」各地の旅は通算150回余を数えました。旅先はアフガニスタン、インド、イラン、シリア、チベット、中国等々。描きためたスケッチブックは600冊に。今回の会場にも、砂漠にヘリコプターで降り立ち、その横でスケッチする氏を写した写真が展示されていました。
  平山さんの「シルクロード」行きは、日本文化の源流をたどる旅でした。実際、作品「バーミアンの石窟」はアフガニスタンの仏教遺跡を描いたものですが、同遺跡の壁画は法隆寺金堂の壁画の源流の一つといわれています。

夢のような平和憲法
  世界各地と日本を結ぶ平山さんの創作活動や文化財保護活動。フランスやフィリピンなどからも褒章を受けています。その思いの根底には、「画家の追求する美は平和であってこそ深まる」がありました。
  氏は中学3年生のときの勤労動員中、広島で原子爆弾に被爆。場所は爆心地から約2㌔のところでした。熱風と震動がいっしょになって襲ってきたなか、「死臭や血の匂いをかぎながら、ボロぞうきんみたいに死んだ人をいっぱい見ながら」、実家のある瀬戸内の島に帰りつきました。この過酷な体験は氏のその後の画業の原点となったのです。
  氏は亡くなる直前まで、「核戦争になれば地球が崩壊する。『核抑止』もへったくれもない」と述べて核兵器廃絶を訴えました。交戦権を否認する日本国憲法についても、「非常に夢のような、歴史に残る憲法」と指摘しています。
  私もその訴えを聞いた一人です。氏の作品に触れ、改めて平和への願いにしっかり応えなくてはと思いました。