2015年9月19日土曜日

鉄柵と国民のエネルギー

国会正門前へ
 昨日(18日)、国会前に着いたのは日没前の夕方5時過ぎでした。桜田門側から国会正門前へ。歩道の右側には各種団体の旗が林立しています。正門前少し左手前の木陰にスペースを見つけ、足を止めました。
 自宅を出る直前、安倍晋三首相に対する問責決議案が否決され、安保法案が採決・成立する見込みとのニュースが流れていました。でも負けないと、国会前へ地域の知人と出かけたのです。
 
鉄柵を間に 
 歩道と車道とは警察の鉄柵でさえぎられていました。鉄柵のすぐ後には警察官が横一列に配置されています。さらに車道の中央部側にも鉄柵と警官が並び、その後に蒲鉾型の装甲車が隙間なく置かれています。仮に中央の車道にたどり着こうとすると、5重の“壁”を乗り越えなければなりません。
 「柵にさわるな」。身体を楽にしようと鉄柵に寄りかかる70代の男性に、警官が威圧を加えました。「柵を乗り越えようなんて考えていませんよ」。毅然と告げる男性。背中を押す警官。しかし男性は動じません。他の参加者も鉄柵を間に若い警官に、「仕事とはいえ、大変だね」と話しかけています。
 
解放された車道
 6時30分、集会が始まりました。続々と詰めかける参加者。埋まる歩道。参加者を車道に出さないようにと、警官は歩道側の鉄柵を中腰で支え続けています。
 すると、歩道横の車道の後方から、参加者が次々にやってくるではありませんか。歩道側の私たちに手を振っています。警官は歩道側の鉄柵を支える必要がなくなったのです。間もなくして退去していきました。
 そのご歩道側の参加者は鉄柵を乗り越え、車道に出ました。木に隠れていた国会が正面によく見えます。広がる解放感。「主権者は私たち国民だ」と改めて思います。そして瞬く間に車道は装甲車近くまで、参加者でぎっしり埋まりました。
 車道の一部開放は、押し寄せる参加者の波を前に、警備側が不測の事態を避けるためにとらざるをえなかった策かもしれません。同時に歩道側に鉄柵と警官を配置したことは、参加者の昨日の規模が想定外であったことをも示しているのではないでしょうか。 
 「憲法違反の安保法案。廃止まで闘う」。こう決意する国民は、安倍政権の思惑を超えて確実に広がっています。(写真=国会正門前、中央の白い建物が国会議事堂。9月18日午後7時34分)

2015年9月15日火曜日

がんばりどきです 

 「4万5千人集まったんだって。いまテレビでやっていたよ。すごいね」。帰宅するや、家人から言われました。きょう(14日)は仕事帰り、「日本の歴史の山場。一人でも」と、国会前での戦争法案反対行動に参加。燃え上がる熱気に直接触れ、自分自身、政治的にリフレッシュされるようでした。

みんな「安保法案反対」の同志
 夕刻、急ぎ足で電車に乗車。国会議事堂前のエスカレーターでは前の人の白いTシャツの背中に、「この国の宝は憲法9条です」。青い字体が鮮やかでした。
 国会の正門前に向かうと、大勢の人が同じように向かって歩いています。赤ちゃんを抱っこした若い母親も、会社帰りとみられるサラリーマンやOL風の人も、大きなヘッドホンを付けた若者も。創価学会の3色旗(青・黄・赤)を掲げた男性もいます。みんな「安保法案反対」の同志です。

命は地球よりも重い 
 集会が始まりました。政党代表の力強い挨拶が続きます。各界の発言ではノーベル賞作家の大江健三郎さんも登場。「最近の集会は若い人の顔が見られます。ここには民主主義の力があります」「憲法の精神に立ち戻るしかない。それしかない」。憲法に立脚する政治をとの切々たる訴えに、大きな拍手が湧き起こりました。
 3児の母親と自己紹介した西郷南海子さん(安保関連法案に反対するママの会)の挨拶も印象に残りました。「だれの子どもも、ころさせない」との合い言葉にふれて、「人の命は作り直すことはできない」「人間一人ひとりはかけがえのない命を持っている」。人間の命は地球よりも重いとの言葉を改めて思い起こしました。
 
新しい政治をめざす
 挨拶の合いまに、コーラーが叫びます。「戦争法案絶対反対」「9条壊すな」「安倍やめろ」。テンポよく繰り返され、たたかいの気分は否応なく高揚します。
 70年安保や沖縄返還のたたかいも、リズム感のあるシュプレヒコールや道いっぱいに手を結んで広がるフランスデモ等で盛り上がりました。平和と民主主義の運動、そして新しい政治をめざすたたかいは個々の場面では紆余曲折があっても、歴史的には確実に継承、発展していると改めて思います。

激励の声が届くように 
 帰途、国会前の歩道からは銀杏の匂いが漂います。いつの間にか秋がやってきています。地下鉄の入り口のそばで、初老の女性が一人ひとりに届くように激励の声を発していました。「お疲れさまでした。いよいよがんばりどきです」  (写真=国会正門前、9月14日午後6時44分)

2015年9月6日日曜日

酸味と甘みのバランスもよく 梨狩り

 きょう(6日)は朝から自治会行事の「梨狩り」が近所の梨園でありました。
 徒歩で参加すると、開始時間前なのに長蛇の列。家族連れなどでいっぱいです。並ぶと、ちょうど前に、夏祭りの反省会の隣席の方がいて、少しおしゃべりを。
 
 農家の「梨は引っ張らなくても、おしりを上にあげると、すぐ採れます」との説明後、梨園へ。たくさんの赤梨が低木に実り(写真)、どれを採るか迷うほどでした。
 
 帰宅後、ずっしりとした大玉を計量すると、516㌘。果肉はほのかな酸味とすっきりした甘みのバランスがよく、シャリシャリした食感やあふれるほど多い果汁も楽しみました。

2015年9月5日土曜日

時代遅れの戦争法案

米軍が日本を守っている?
 安倍晋三首相は4日、読売テレビの番組で戦争法案にふれて、「(米軍が)日本を守っているのに、日本は何もしないとなれば日米同盟は終わる」と発言しました。
 あたかも米軍が日本や平和の守り手であって、日本はこれまで傍観者でもあったかのように描かれていますが、これほど手前勝手な議論はありません。
 
米国の戦争の忠実な協力者
 だいたい米国は戦争と武力行使連続の歴史をもつ、「世界で一番危険な国」(藤井正希・群馬大学准教授)です。そして日本政府も日米安保条約=日米軍事同盟のもとで、絶えず米国の戦争の忠実な協力者として危険極まりない役割を果たしてきた張本人ではありませんか。 
 まず米国のベトナム戦争(1950年代から75年)。のちに米政府高官も証言した通り、米国のでっちあげによる侵略戦争でした。在日米軍基地は米軍の爆撃機が沖縄から飛び立つなど、その最前線基地として使用され、沖縄はベトナムの人民から「悪魔の島」と呼ばれました。
 2003年に米英軍が開始したイラク戦争も、大量破壊兵器の保有という虚偽情報にもとづく侵略戦争でした。10万人以上という罪のない市民が犠牲になるとともに、テロ組織がばっこする大きな要因になりました。世界でいち早く戦争支持を表明し、自衛隊をイラクに派兵した日本にも当然、相応の責任があります。しかし日本政府はいまなお自らの過ちを検証していません。
 同時に、この間の戦争をめぐる問題には特別重要な教訓があります。ベトナム戦争のさい日本の協力が在日米軍基地の使用にとどまったのも、イラク戦争のさい自衛隊を派兵したものの「非戦闘地域」での支援にとどまったのも、憲法9条の歯止めがあったからです。
 
実る外交による成果
 安倍首相にとってこの9条の輝く値打ちは、「日本は何もしない」と勝手に描き出しているように、打ち消したい対象にほかなりません。戦争法案の柱に、武力で米国を守る集団的自衛権の行使を持ち込んでいることはその端的な例です。
 しかしそれは戦争路線であり、国際社会の動向に照らすならば、「時代遅れの議論」(寺島実郎氏)そのものです。
 今日の世界はNATO(北大西洋条約機構)のような軍事同盟でさえ、国際的テロ組織ISへの対応にも示される通り、それぞれの国が主体的に考えて判断し、行動することが流れになっています。また、イランの核開発問題の解決に向けた同国と欧米などとの最終合意や、米国とキューバの国交正常化など、外交による成果も実っています。 
 安倍首相が成立を急ぐ戦争法案に未来がないことは明白です。いよいよ撤回か廃案しかありません。(写真=地域の戦争法案反対集会)