2025年8月31日日曜日

Hくんの広島旅行

     小学4年のHくんがこの夏、広島を訪ねた。漫画『はだしのゲン』を読んで広島や原爆に関心を抱いていた。

宮島を訪ねた帰り、路面電車から広島市内の景色を眺めていたHくん。

「あっ、原爆ドームだ」

実物が目の前に現れ、驚いた様子だった。

翌日、原爆ドームのそばへ。崩れた壁、むき出しの鉄骨。原爆のすさまじい破壊力や恐ろしさを80年過ぎても伝え続けていた。

広島平和記念資料館にも足を運んだ。ボロボロになった生徒の制服や帽子、銀行の入口階段に残った人影、救護所で水を求めてうめく被災者の写真等々。館内は大勢の見学者がいたが、被爆の惨状を前に静寂そのものだった。

「怖い」。見学を足早に終えたHくんだが、資料館内で開かれていた、被爆体験を本人に代わって話す「伝承講話」に参加した。15人ほどの参加者の半数は若い人だった。

伝承者の角宮美佐子さんは話を終えると、アンケートを促した。Hくんは自由記載欄に、「広島は昔、大変なことになっていたとわかった」と記した。

帰りの新幹線の中でHくんは、「今回の一番の思い出は?」との問いに、「路面電車かな。お好み焼きかな。いや、やっぱり原爆ドームだ」と話した。

2025年8月29日金曜日

戦前に戻す憲法案

     


 生活苦のすくい取りなどのパフォーマンスに、惑わされてはならない▼「核武装が最も安上がり」。発言者は原爆による惨状を正面から認識したことがあるのだろうか。核抑止は破られる危険があり、核戦争になれば人類は絶滅の淵に追いやられる。ゆえに広島・長崎の両市長は8月、そろって核抑止を批判した▼その極右的主張は自分らの憲法案と軌を一にする。天皇の元首化や国家主権、軍隊の保持を掲げ、日本を戦前に戻す内容だ。明治憲法下の侵略戦争は何と非道であったか。朝ドラ「あんぱん」でも日本軍に親を殺された中国の少年がかたきを討つ場面などは胸が締め付けられた▼いま日本国憲法下、「国民として誇るものは民主主義と平和主義」(加藤周一・評論家)だ。差別や分断は戦争への道との批判が各界各層から起きている。平和の尊さを多面的にアピールする若い世代も目立つ。歴史に背を向ける逆流は必ず行き詰まりを深めざるを得ないであろう。

2025年8月28日木曜日

今も大丈夫?

     パレスチナ地区ガザの人々を写した写真展(ららぽーと海老名4階)。

 イスラエルの爆撃で電気が止まった仕立屋のアエドさんはミシンを自転車の車輪で動くように改造。手伝う息子のムハンマド君は話す時間が増えたと喜ぶ。

 ほほえましい光景だ。

 今も大丈夫だろうか。ガザ制圧の即時中止を願わずにいられなかった。

2025年8月24日日曜日

キャンドルや音楽で平和を

    


    終戦記念日の8月15日夕、えびな・九条の会は海老名駅前で初の「キャンドル・ナイト」を行いました。先の戦争の犠牲者を悼み、戦争放棄の憲法の大切さを訴える行事。朝日新聞に行事が紹介されたこともあり、50人余の市民が集いました。

 夜のとばりがおりるなか、参加者はキャンドル(LED)をかざし、核兵器廃絶やガザ支援などについてスピーチ。ピアノやバイオリン、ギターの伴奏、ボーカルの歌とともに、「見上げてごらん夜の星を」「イマジン」などを合唱しました。

飛び入りで参加した男子高校生はマイクで、「大きな声で平和を守ろう」とアピール。 核兵器禁止条約を求める署名にサインした座間市の20代の女性は、「核兵器をなくしたいので、がんばっている人がいると、うれしい」と語りました。