2015年1月27日火曜日

テロ対応を口実にしていいのか

 安倍晋三首相が過激組織「イスラム国」の人質事件を口実に自衛隊の軍事活動を強める動きを見せていることは重大です。
 25日のNHK番組で首相は、「海外で邦人が危害にあったとき、現在自衛隊が能力を十分に生かせない」と述べて、自衛隊の海外での武器使用の範囲を拡大する方針を指摘。併せて「イスラム国」掃討の有志連合への自衛隊の参加についても可能との考えを示しました。
 日本が米国とともに武力行使や戦争への道を突き進む姿勢を重ねて明らかにしたものです。人質の生命への影響はもとより、海外で働くNGOや観光客、さらには日本本土へのテロの危険さえ高めざるを得ません。

「イスラム国」対策の後方支援 極めて危険
 首相は今回、「イスラム国」対策での後方支援について「武力行使ではない」と述べ、「非軍事分野での難民支援」と釈明しています。
 しかし、集団的自衛権の行使を容認した昨年7月の閣議決定は、自衛隊の補給や輸送などの後方支援について、「非戦闘地域」に限るという従来の枠組みを撤廃。戦闘地域への派遣も事実上可能としました。
 「イスラム国」掃討に向けた米国主導の有志連合には軍事同盟の北大西洋条約機構(NATO)を中心に、約60の国や機関が参加しています。この活動を支える後方支援に日本も乗り出すならば、それこそテロリストたちの思うつぼというものでしょう。有志連合の昨夏の空爆開始以降、すでに攻撃に加わるカナダやオーストラリア、フランスでテロなどが起きています。
 
 憲法違反の集団的自衛権行使容認の閣議決定は撤回すべきです。有志連合への支援をも可能とする「安保法制」も国会に提出されるべきではありません。憲法9条にもとづく平和外交の推進こそ、日本が世界から信頼を集め、世界平和に貢献する大道です。

2015年1月24日土曜日

平山郁夫さんと平和

濃淡ともなう彩色の美しさ
 最寄りの自治体が主催する日本画家・平山郁夫さん(1930~2009)の作品展に行ってきました。会場には鑑賞者が次々と詰めかけていました。
  戦後日本の日本画家を代表する一人、平山さん。今回、印象に残った作品は、「アフガニスタンの砂漠を行く・日」と「同・月」でした。縦1㍍71㌢、横3㍍64㌢という大型の二枚の本画です。ラクダに乗る7人のターバン姿の男性が一枚は金色に照らす太陽と、もう一枚は夜を青く包む月とともに幻想的に描かれています。絵に近づいて目を凝らすと、重厚な塗り重ねが濃淡をともなって彩色され、美しさを際立たせていました。

アフガニスタンやシリア等を150回訪問
  平山さんの「シルクロ-ド」各地の旅は通算150回余を数えました。旅先はアフガニスタン、インド、イラン、シリア、チベット、中国等々。描きためたスケッチブックは600冊に。今回の会場にも、砂漠にヘリコプターで降り立ち、その横でスケッチする氏を写した写真が展示されていました。
  平山さんの「シルクロード」行きは、日本文化の源流をたどる旅でした。実際、作品「バーミアンの石窟」はアフガニスタンの仏教遺跡を描いたものですが、同遺跡の壁画は法隆寺金堂の壁画の源流の一つといわれています。

夢のような平和憲法
  世界各地と日本を結ぶ平山さんの創作活動や文化財保護活動。フランスやフィリピンなどからも褒章を受けています。その思いの根底には、「画家の追求する美は平和であってこそ深まる」がありました。
  氏は中学3年生のときの勤労動員中、広島で原子爆弾に被爆。場所は爆心地から約2㌔のところでした。熱風と震動がいっしょになって襲ってきたなか、「死臭や血の匂いをかぎながら、ボロぞうきんみたいに死んだ人をいっぱい見ながら」、実家のある瀬戸内の島に帰りつきました。この過酷な体験は氏のその後の画業の原点となったのです。
  氏は亡くなる直前まで、「核戦争になれば地球が崩壊する。『核抑止』もへったくれもない」と述べて核兵器廃絶を訴えました。交戦権を否認する日本国憲法についても、「非常に夢のような、歴史に残る憲法」と指摘しています。
  私もその訴えを聞いた一人です。氏の作品に触れ、改めて平和への願いにしっかり応えなくてはと思いました。

2015年1月20日火曜日

きょうは大寒

20日は24ある節気の一つ、大寒(だいかん)。一年で最も寒い時期です。
童謡「大寒(おおさむ)小寒(こさむ) 山から小僧が泣いてきた」はこの頃の厳しい寒さを歌ったものといわれています。

でも、きょうの当地の日中は温かく、池ではカモが水草を食べる、のどかな風景がありました。

2015年1月18日日曜日

日中韓の絆を探る  岡田武史元監督らが発言

 日本、中国、韓国の絆をサッカーの分野から「再発見」するセミナーが16日、東京都内でありました。
 公益財団法人・日本国際交流センター(理事長・大河原昭夫元住友商事総合研究所所長)の主催。パネリストの岡田武史元サッカー日本代表監督、池田誠剛元サッカー韓国代表フィジカルコーチ、ユ・サンチョル元サッカー韓国代表選手はかつて元横浜F・マリノスの監督、コーチ、選手の関係でもあり、終始、和やかな雰囲気で進行しました。参加者は約150人。

信頼や尊敬の社会は到来する 岡田氏
 中国のサッカーチームの監督を2012年から2年間務めた岡田氏。中国から帰国するさい、空港でサポーターから帰らないでほしいと懇願されたことや、同席するユ氏が尊敬する仲間であることを紹介し、「こんご、信頼や仲間意識、尊敬など目には見えない資本を大切にする社会がきっと来るのではないか」と語りました。
 尖閣諸島をめぐる日中間の対立にもふれて、一人っ子政策の中国では戦場に子どもを送りたいと思っている人はほとんどいないと指摘。氏の活動の基本は3人の子どもに残せるものを探すことにあり、その具体例として環境の保全や70年間戦争がなかった社会などを挙げました。
 また、四国リーグ・FC今治(愛媛県)のオーナーを昨年から務める氏は、中国、韓国の少年チームを招いた国際大会を今治市で開く予定であることも明らかにしました。

人間として手をつなぐこと 池田氏
 池田氏は子どものころ、地域に朝鮮人の部落があり、父親に「国籍や皮膚の色で差別するな。人間として手をつなぐこと」と言われて育ったと発言。韓国でのコーチ時代、日韓戦でホン・ミョンボ監督が選手に「日本をリスペクト(尊敬)しよう。フェアプレーで勝つことで我々はもっと成長できる」と激励したことを紹介しました。
 また、ロンドン五輪(2012年)の3位決定戦・日本対韓国戦で韓国が勝ったさい、氏が日本の一部の人から「売国奴」などと、心ない誹謗中傷を受けたことを振り返りながら、「日韓が切磋琢磨してアジアサッカーのレベルを上げたい。私は日韓の友好を信じている」ときっぱり語りました。

経験せずして語るな ユ氏
 Jリーガーとしても6年間プレーし、現在は韓国の大学チームの監督を務めるユ氏。初来日した当時は日本に対する反感もあり、仲良くなる気持ちを持っていなかったと告白。日本人選手が会話を交わしていると、自分の悪口を言っているのではと考え、ストレスになったといいます。
 しかしアスリート(運動選手)としてケガも辞さない懸命なプレーを続け、心も開くなかで情も厚くなり、仲の良いチームメートが一人、二人と広がったと発言。現在は横浜が第二の故郷だと述べ、「経験せずして簡単に語るな」が私の人生訓だと話しました。子どもによりよい世の中を譲り渡したいとも述べました。

 セミナーで3氏の話を聞いたのち、いまアジア・カップで試合中の日本はもとより、中国や韓国のチームにも親近感を覚えている自分に気づきました。日中韓の友好の絆を強める3氏に感謝の気持ちが湧いてきました。私もきょうのテーマの重要性を多くの人びとに広げていきたいと思います。写真は(左端)ユ・サンチョル氏、(左から3人目)池田誠剛氏、(同5人目)岡田武史氏=1月16日夜、東京・港区で

2015年1月17日土曜日

貧困を深刻化させる軍拡予算

  2015年度政府予算案。「戦争ができる国」になるため、貧困問題をいっそう深刻化させるという安倍政権の悪政が浮き彫りになっています。

「授業料」の言葉がなくなる高校を
  定時制高校4年生の訴えがずっと心に引っ掛かっています。あしなが育英会などの主催で開かれた子どもの貧困を問う市民集会(2013年5月18日、都内)でした。
  「小中学校に授業料という言葉がないように、早く高校にも授業料という言葉がなくなり、教科書代という言葉も実習費という言葉もなくなることを望みます」
  お金を心配することなく学校に通いたい。教育を受けることを私たちの権利にしてほしい――切実な願いは胸を打ちました。
  願いが生まれる背景には貧困問題があります。あしなが育英会の奨学金を借りる母子家庭の母親の年収は、1998年の200万円余から、2013年には113万円にまで減少。働く母親の多くは賃金の低い非正規雇用です。労働者派遣法など労働法制を改悪し、非正規雇用を広げた歴代自民党政権の責任は極めて重大です。

生活保護費の削減額は戦闘機2機分
  15年度予算案ではこのうえ、国民生活の最後のセーフティーネット・生活保護費がすでに強行している生活扶助に続き、家賃にあたる住宅扶助と、寒冷地の人びとにとって命綱の冬季加算まで削られ、合計で14年度より323億円減ります。暮らしの破壊が子どもの教育費をも直撃することは目に見えています。
 一方、軍事費は過去最高の約5兆円に膨張。第二次安倍政権発足後、3年連続の増加となります。内訳も新型戦闘機F35の6機1032億円、兵士を運ぶオスプレイの5機516億円、水陸両用車の30両203億円など、海外侵攻能力を高める兵器を相次いで導入。F35の2機分の予算があれば、生活保護費は削減しなくても済みます。

安倍政治ノーの声を草の根に
 日本も加盟するOECD(経済協力開発機構)は昨年12月、報告書「所得格差と経済成長」で、貧しくて質の高い教育を受けられない人びとは知識や技能を身につけられないため、貧困は成長の足かせになると指摘しています。
 この点でも集団的自衛権の行使容認下、「戦争ができる国」づくりを具体化し、暮らしと子どもの未来を壊す15年度予算案は「亡国予算」そのものです。
 安倍政治ノーの声を一段と草の根に広げ、新しい希望ある日本をめざしたいと強く思います。(写真は神奈川県茅ヶ崎市の海岸から見た富士山)

2015年1月11日日曜日

政治風刺の封殺は「戦争ができる国」への道

 息苦しい社会が到来していませんか。
  お笑いコンビの爆笑問題がNHKの新春番組で政治家のネタを没にされた問題。NHKの籾井勝人会長は8日、「個人に打撃を与えるのは品性がない」「やめた方がいいのでは」と述べています。

異論に耳を傾けない安倍政権
  籾井氏が政治家を個人一般に置き換えているのは作為的です。政治家・権力者が笑いの対象にされることは古今東西よくあるからです。チャップリンが監督・主演を務め、日本でもヒットしたアメリカ映画「独裁者」(1940年)も、ヒトラーの独裁政治を風刺しつつ批判する作品でした。
  爆笑問題による政治家のネタの内容は定かではありませんが、田中裕二さんは「全部ダメって言うんだよな」と明らかにし、太田光さんも「(NHK側の)自粛なんですよ。…問題を避けるための」といいます。
  いま政治風刺が封殺されるなら、それを一番喜ぶのは、権力者・安倍晋三首相であることは衆目の一致するところです。すでに同政権では自分たちの政治への異論に耳を傾けない手法が常態化しています。
  集団的自衛権問題を追及した長崎の被爆者に首相が「見解の相違です」と告げて去る、テレビで有権者のアベノミクス批判の街頭インタビューに首相が不快感を示す等々。
  さらには総選挙公示前、自民党がNHKや在京民放局に選挙報道の「公平中立」なる文書を送って出演者の選定などにまで細かく口を出し、そのごテレビ各局の扱う選挙関連の話題は激減しました。
 今回のNHKの行為も、同政権の意に沿うものであったといっても過言ではないでしょう。

表現の自由の歴史的意義
  大衆芸能には戦時体制下、演目を封殺されるという痛苦の経験があります。「禁演落語」。1941年(昭和16年)、落語界の自粛の形をとって、事実上、上演を禁じられた廓噺、酒飲み、泥棒など53演目の落語のことです。戦後、同落語の制限は解除されました。
  いま国民に「永久の権利」として憲法で保障される言論等、表現の自由は、こうした歴史の教訓の上に得られたものです。報道機関が「戦争ができる国」をめざす権力者の意に沿い、その言い分を伝えるだけでは、歴史に目をふさぐものであり、存在意義などないに等しいといわなければなりません。今回も当事者から自粛したと指摘されるNHKは、国政に物申すことを主権者の役割としてしっかり保障すべきでした。

サザンの歌詞にも意見を述べたが
  籾井氏は上記の会見で、サザンオールスターズの紅白歌合戦での歌がネット上などで政権を批判したと受け取られていることについても、「サザンの歌って、わーわーわーわーって歌」「言葉よりもリズムと激しい歌い方が持ち味」と語っています。
  サザンの歌詞の意義を退ける発言でしたが、今回の「ピースとハイライト」の歌詞には「固い拳を振り上げても心開かない」「地上に愛を育てようよ」などと記されています。視聴者からは「歌詞のように、…人を愛したい、地球を大切にしたい」(「朝日」9日付、「声」欄)と共感を呼んでいます。
  氏はいたずらに政権擁護に走ると、それは広く国民から批判を浴びる道であることを知るべきでしょう。(写真は、薄氷の張る水田=11日早朝)

2015年1月7日水曜日

行ってきました吹奏楽部の演奏会

  年末、地元の高校の吹奏楽部による演奏会に行きました。
  創部67周年という同部。県吹奏楽コンクールでの入賞や全国大会への出場など、なかなかの活躍を見せています。当夜の来場者も300人前後を数えていました。
  ステージに並ぶ生徒は約50人。プログラムには映画音楽やジャズなど親しみ深い曲目も。演奏はクラリネットのあたたかい音色、フルートの柔らかい高音、ホルンの勇ましい音色などがとけ合い、たいへん上手でした。
 (写真は、撮影禁止であったため、演奏会終了後の舞台です)

犠牲者2000万人余 この想像を

  「日本はアジアの中で生きなければならない。そのため歴史をどのように理解し、反省すべきは反省しなければならない」(後藤田正晴・元内閣官房長官)
  安倍晋三首相にはこうしたアジアについての視点はあるのでしょうか。

アジアの中で生きる視点は
  首相は6日の政府与党連絡会議で、戦後70年のことし発表する首相談話について、「世界に発信できるものを英知を結集して考える」と強調しました。村山談話(1995年)など過去の談話の歴史認識を引き継ぐとも発言しています。
  しかし、2013年4月の国会では村山談話について、「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と答弁。侵略についても「侵略の定義は定まっていない」と述べています。13、14年の終戦の日の式辞では、歴代内閣が触れていたアジア諸国に対する反省などを表明していません。

断罪された世界征服の挙
  たとえ首相が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を持論とし、戦前史への正対を避けても、15年に及ぶ日本のアジア太平洋戦争は侵略戦争でした。
 侵略戦争とは他国の領土に武力で攻め入り、支配することです。日本が1945年に無条件で受諾したポツダム宣言(米国、中国、英国が署名)は、日本の戦争を「世界征服の挙に出づるの過誤」と断罪しています。村山談話でも「わが国は、…植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べている通りです。

史上最大の惨害
  このうえで直視したいことは旧日本軍の謀略(満州事変)から始まった日本の侵略戦争が国民に310万人以上(1963年の厚生省発表)、アジア・太平洋諸国に2000万人以上の犠牲者という史上最大の惨害をもたらしたことです。
  2000万人以上の内訳は各国の政府公表や公的発表によれば、中国1000万人以上、インドネシア400万人、ベトナム200万人、インド150万人、フィリピン111万人、オーストラリア2万3000人余、ニュージーランド1万1600人余など(ミャンマーやシンガポール等は含まれず)。
 さらに日本の植民地支配のもとにあった朝鮮では軍人・軍属として36万人余が戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者が15万人以上と推定されています。いうまでもなく、それら一人ひとりにかけがえのない人生があり、家族がありました。
  また、死から免れても、強制連行などは筆舌に尽くし難いものでした。14歳のとき日本軍に拉致され、福岡県の三井鉱山・田川鉱業所で働かされた中国人男性の体験も残酷そのものです。
 日本兵に捕まったのち、収容所で逃げないようにとすべての服を奪われ裸にされる、そこで見た、多数の死体を重ね積みした荷車、田川鉱の落盤で両足を砕き、歩行できなくなった仲間、14時間に及ぶ労働、「私たちが死んでも、お前は生きるのだ。生きて私たちの骨を中国へ帰してくれ」と、泣きながら交代で自分の食物を残し、自分のところに持ってきて次々に死んでいった3人の老人等々(「世界」2007年8月号)。

談話の継承はもとより、「戦争ができる国」のストップを
  日本の首相がこうした歴史に向き合い、アジアの中で日本の進路を探ろうとする限り、「アジア諸国に対する反省を表明せず」などの態度は到底許されないはずです。求められていることは、「過去を変えることはできない。できることは教訓に学び、よき未来がくるように努力すること」にほかなりません。 
 そのためにも安倍首相が「世界に発信できる」談話をめざすならば、これまでの談話の歴史認識を継承することはもちろん、靖国神社参拝や集団的自衛権の行使容認など「戦争ができる国」につながる、いっさいの企てをきっぱりやめることでしょう。

2015年1月2日金曜日

ゆず湯に入りました

 友人からいただいた鬼ゆず。見た目はごつごつしていますが、お風呂に浮かべると、ふわーとクエン酸の良い香り。癒されました。

2015年1月1日木曜日

良き年でありますように

明けましておめでとうございます。
ことしもよろしくお願い申しあげます。

 元日のけさ、神奈川県茅ヶ崎市の海岸へ。
 相模湾を見渡し、富士山も眺望し、清々しい空気を吸うことができました。

 写真は、茅ヶ崎のサザンビーチに建つモニュメントです。
 円の側に立つと、円(縁)が結ばれること、貧困や民族対立などに対してもいたわりの心を思い出して幸せな暮らしをつくることをイメージしているといいます(円の中心点はえぼし岩)。

 皆様にとって良き年でありますよう願っております。