「日本はアジアの中で生きなければならない。そのため歴史をどのように理解し、反省すべきは反省しなければならない」(後藤田正晴・元内閣官房長官)
安倍晋三首相にはこうしたアジアについての視点はあるのでしょうか。
アジアの中で生きる視点は
首相は6日の政府与党連絡会議で、戦後70年のことし発表する首相談話について、「世界に発信できるものを英知を結集して考える」と強調しました。村山談話(1995年)など過去の談話の歴史認識を引き継ぐとも発言しています。
しかし、2013年4月の国会では村山談話について、「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と答弁。侵略についても「侵略の定義は定まっていない」と述べています。13、14年の終戦の日の式辞では、歴代内閣が触れていたアジア諸国に対する反省などを表明していません。
断罪された世界征服の挙
たとえ首相が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を持論とし、戦前史への正対を避けても、15年に及ぶ日本のアジア太平洋戦争は侵略戦争でした。
侵略戦争とは他国の領土に武力で攻め入り、支配することです。日本が1945年に無条件で受諾したポツダム宣言(米国、中国、英国が署名)は、日本の戦争を「世界征服の挙に出づるの過誤」と断罪しています。村山談話でも「わが国は、…植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べている通りです。
史上最大の惨害
このうえで直視したいことは旧日本軍の謀略(満州事変)から始まった日本の侵略戦争が国民に310万人以上(1963年の厚生省発表)、アジア・太平洋諸国に2000万人以上の犠牲者という史上最大の惨害をもたらしたことです。
2000万人以上の内訳は各国の政府公表や公的発表によれば、中国1000万人以上、インドネシア400万人、ベトナム200万人、インド150万人、フィリピン111万人、オーストラリア2万3000人余、ニュージーランド1万1600人余など(ミャンマーやシンガポール等は含まれず)。
さらに日本の植民地支配のもとにあった朝鮮では軍人・軍属として36万人余が戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者が15万人以上と推定されています。いうまでもなく、それら一人ひとりにかけがえのない人生があり、家族がありました。
また、死から免れても、強制連行などは筆舌に尽くし難いものでした。14歳のとき日本軍に拉致され、福岡県の三井鉱山・田川鉱業所で働かされた中国人男性の体験も残酷そのものです。
日本兵に捕まったのち、収容所で逃げないようにとすべての服を奪われ裸にされる、そこで見た、多数の死体を重ね積みした荷車、田川鉱の落盤で両足を砕き、歩行できなくなった仲間、14時間に及ぶ労働、「私たちが死んでも、お前は生きるのだ。生きて私たちの骨を中国へ帰してくれ」と、泣きながら交代で自分の食物を残し、自分のところに持ってきて次々に死んでいった3人の老人等々(「世界」2007年8月号)。
談話の継承はもとより、「戦争ができる国」のストップを
日本の首相がこうした歴史に向き合い、アジアの中で日本の進路を探ろうとする限り、「アジア諸国に対する反省を表明せず」などの態度は到底許されないはずです。求められていることは、「過去を変えることはできない。できることは教訓に学び、よき未来がくるように努力すること」にほかなりません。
そのためにも安倍首相が「世界に発信できる」談話をめざすならば、これまでの談話の歴史認識を継承することはもちろん、靖国神社参拝や集団的自衛権の行使容認など「戦争ができる国」につながる、いっさいの企てをきっぱりやめることでしょう。