これを思い出したのは、24日発足の第三次安倍内閣の防衛相・中谷元氏の発言(「東京」28日付)に接したからです。
集団的自衛権とは、日本が攻撃されていないのに、他国に対する武力攻撃を実力で阻止することです。
7月の閣議決定は、自衛隊の活動範囲を「非戦闘地域」に限定するこれまでの枠組みをなくしました。事実上、戦闘地域への出動を可能とし、集団的自衛権の行使容認に踏み込んだのです。自衛隊員の生命の危険が高まったことは明々白々です。
にもかかわらず中谷防衛相は自衛隊が「いろんなリスクを持つ」と平然と言い放つとともに、集団的自衛権を行使してもその危険は「現在と変わりがない」と言明。自衛隊員の命の重みをどう考えているのか、疑問が深まるばかりです。
中谷防衛相はホムルズ海峡での停戦前の機雷掃海についても、「自公の間に意見の相違があるとは認識していない」と語り、実施する構えを見せています。
しかし日本の石油備蓄についていえば、約半年分が確保されています。仮に同海峡が封鎖されても長期的な影響が出る可能性は低いというのが実情です。
だいたい安倍政権がエネルギー問題を重大視するならば、なぜ、原発の40倍にものぼる巨大な潜在力を持つ自然エネルギーの大規模な普及をすすめないのでしょうか。
加えて「経済的打撃」と、日本人の命とを同列に扱うこと自体、論理の飛躍があります。それは「一銭5厘の命」と同様に、国民の命を消耗品扱いする思想があるからではないでしょうか。
国家の自衛権は例外的な権利です。武力行使禁止こそ国連憲章の原則です。まして日本国憲法は戦力の不保持や交戦戦の否認をうたっています。集団的自衛権が入り込む余地はまったくありません。防衛相も歴史の歩みや憲法の平和理念を真剣に学ぶ必要があります。
(写真は、日露戦争〈1904~05年〉に出征した兵士の「凱旋」を記念する碑。重砲兵や歩兵の肩書付きで地元13氏の名前が刻まれています=関東の古寺の境内)