2025年9月28日日曜日

「俺はあきらめんよ」

    制作に賛辞を送りたい。映画『宝島』。米国統治下の沖縄の人々は抑圧され、もがき続ける。祖国復帰デモの先頭に立つ若い教員。凛とした姿は勇気が湧く。

   米国言いなりの政治は今も続いている。宝島の主人公は命がけで叫んだ。平和な未来を「俺はあきらめんよ」。転換期の現在、重く響く。

2025年9月27日土曜日

戦争のばかたれ!

     
     えっ、と思った。学習支援活動のとき、小5のIさんが『はだしのゲン』(中沢啓治)を読んでいたからだ。同活動では初めて見る光景であった。

 小4のとき小学校の図書室で全10巻を読み、いま再読中だという。Iさんは支援教室の終了時間がきても、なかなか本を閉じなかった。

 せかされるように帰途につくIさん。大きな声で叫んだ。

 「戦争のばかたれ!」

 広島原爆を体験したゲンの言葉だった。

2025年9月15日月曜日

若い労働者などが核兵器禁止署名

  


 ときおり強い雨が降る913日、海老名駅前で、九条の会の「生かそう憲法」駅前スタンディング(108回目)がありました。

新しいプラカード「安心してくらせる日本へ」「ガザ虐殺やめよ」などを掲げつつ、核兵器禁止条約の批准を日本政府に求める日本被団協の署名も呼びかけました。戦争や差別に反対し、くらし・平和・民主主義の擁護をとのスピーチも行われました。

建設業で働く22歳の若者2人は足を止めて核兵器禁止署名にサイン。「戦争反対はルールなのに、守られないのはおかしい」と、写真撮影にVサインで応じました。

参加者からは、「今日は署名者が多い感じだった」「高校生がプラカードを声を出して読んでくれた。音楽(ギターと歌)があったので、注目された」「小学校の退職教員が『戦争だけはなくしたい』と核兵器禁止署名に応じ、会ニュースの読者にもなってくれた」などの感想が出されました。

2025年8月31日日曜日

Hくんの広島旅行

     小学4年のHくんがこの夏、広島を訪ねた。漫画『はだしのゲン』を読んで広島や原爆に関心を抱いていた。

宮島を訪ねた帰り、路面電車から広島市内の景色を眺めていたHくん。

「あっ、原爆ドームだ」

実物が目の前に現れ、驚いた様子だった。

翌日、原爆ドームのそばへ。崩れた壁、むき出しの鉄骨。原爆のすさまじい破壊力や恐ろしさを80年過ぎても伝え続けていた。

広島平和記念資料館にも足を運んだ。ボロボロになった生徒の制服や帽子、銀行の入口階段に残った人影、救護所で水を求めてうめく被災者の写真等々。館内は大勢の見学者がいたが、被爆の惨状を前に静寂そのものだった。

「怖い」。見学を足早に終えたHくんだが、資料館内で開かれていた、被爆体験を本人に代わって話す「伝承講話」に参加した。15人ほどの参加者の半数は若い人だった。

伝承者の角宮美佐子さんは話を終えると、アンケートを促した。Hくんは自由記載欄に、「広島は昔、大変なことになっていたとわかった」と記した。

帰りの新幹線の中でHくんは、「今回の一番の思い出は?」との問いに、「路面電車かな。お好み焼きかな。いや、やっぱり原爆ドームだ」と話した。

2025年8月29日金曜日

戦前に戻す憲法案

     


 生活苦のすくい取りなどのパフォーマンスに、惑わされてはならない▼「核武装が最も安上がり」。発言者は原爆による惨状を正面から認識したことがあるのだろうか。核抑止は破られる危険があり、核戦争になれば人類は絶滅の淵に追いやられる。ゆえに広島・長崎の両市長は8月、そろって核抑止を批判した▼その極右的主張は自分らの憲法案と軌を一にする。天皇の元首化や国家主権、軍隊の保持を掲げ、日本を戦前に戻す内容だ。明治憲法下の侵略戦争は何と非道であったか。朝ドラ「あんぱん」でも日本軍に親を殺された中国の少年がかたきを討つ場面などは胸が締め付けられた▼いま日本国憲法下、「国民として誇るものは民主主義と平和主義」(加藤周一・評論家)だ。差別や分断は戦争への道との批判が各界各層から起きている。平和の尊さを多面的にアピールする若い世代も目立つ。歴史に背を向ける逆流は必ず行き詰まりを深めざるを得ないであろう。