2025年11月13日木曜日

核実験再開ノー 中学生から握手

 えびな・九条の会は11月8日、海老名駅前で「生かそう憲法」スタンディング(110回目)に取り組みました。核実験再開反対などの訴えに、中学生のグループから握手を求められるなど、若い世代からの反応が続きました。

  スピーチでは、米ロの核実験再開の表明について、新たな核軍拡競争で人類がいっそう脅かされると批判。唯一の戦争被爆国の日本は核兵器禁止条約に参加し、世界の核兵器廃絶の流れを進める大事なときだと訴えられました。

 「あの戦争で東京の実家が焼けてしまった。戦争は絶対だめだ」と発言したのは、通りかかった海老名市の93歳の男性。夫婦で核兵器禁止条約署名にサインしました。

参加者の感想では、「女子高生と20代の女性が核兵器禁止署名に応じた。いま核兵器問題は若い人にアピールできる」との確信が語られました。


2025年11月10日月曜日

海老名市立温故館 「兵士の御守」開催

  「終戦から80年の節目に、2度と戦争を起こさないよう、記憶を継承する」(押方みはる海老名市立郷土資料館・温故館館長)。企画展「出征兵士の御守(おまもり)」が同館で開かれました。8月8日~10月5日。

 アジア・太平洋戦争時、兵士は御守を複数所持するのが通例でした。海老名村国分の重田章氏の場合、海老名の寺院をはじめ、鎌倉市の鶴岡八幡宮や茨城県の鹿島神宮、神戸市の湊川神社などの御守20体を携行。

 
 重田氏は帰郷しましたが、 昭和1020年代の海老名市域での戦死者は約460人。4軒に1軒(昭和15年当時の世帯数は1799世帯)、戦死者を出し、米づくりや養蚕の働き手を失いました。

その一人、石井重夫氏は中国で戦死。22歳。氏の戦地からの葉書には封書を出すことが禁じられたと記し、検閲で塗りつぶされた跡もありました。

また、海老名の子どもから戦地に送られた慰問の手紙は、「しなのへいたいをやっつけて、日本の国をひろくしたい」と、軍国教育の影響が垣間見えるものでした。

 押方館長は今回の企画展について、「子どもや大学生、若い年代も来館された」と振り返り、「今後も戦争関係の展示を企画し、次世代に記憶をつなぎたい」と語っています。

2025年9月28日日曜日

「俺はあきらめんよ」

    制作に賛辞を送りたい。映画『宝島』。米国統治下の沖縄の人々は抑圧され、もがき続ける。祖国復帰デモの先頭に立つ若い教員。凛とした姿は勇気が湧く。

   米国言いなりの政治は今も続いている。宝島の主人公は命がけで叫んだ。平和な未来を「俺はあきらめんよ」。転換期の現在、重く響く。

2025年9月27日土曜日

戦争のばかたれ!

     
     えっ、と思った。学習支援活動のとき、小5のIさんが『はだしのゲン』(中沢啓治)を読んでいたからだ。同活動では初めて見る光景であった。

 小4のとき小学校の図書室で全10巻を読み、いま再読中だという。Iさんは支援教室の終了時間がきても、なかなか本を閉じなかった。

 せかされるように帰途につくIさん。大きな声で叫んだ。

 「戦争のばかたれ!」

 広島原爆を体験したゲンの言葉だった。

2025年9月15日月曜日

若い労働者などが核兵器禁止署名

  


 ときおり強い雨が降る913日、海老名駅前で、九条の会の「生かそう憲法」駅前スタンディング(108回目)がありました。

新しいプラカード「安心してくらせる日本へ」「ガザ虐殺やめよ」などを掲げつつ、核兵器禁止条約の批准を日本政府に求める日本被団協の署名も呼びかけました。戦争や差別に反対し、くらし・平和・民主主義の擁護をとのスピーチも行われました。

建設業で働く22歳の若者2人は足を止めて核兵器禁止署名にサイン。「戦争反対はルールなのに、守られないのはおかしい」と、写真撮影にVサインで応じました。

参加者からは、「今日は署名者が多い感じだった」「高校生がプラカードを声を出して読んでくれた。音楽(ギターと歌)があったので、注目された」「小学校の退職教員が『戦争だけはなくしたい』と核兵器禁止署名に応じ、会ニュースの読者にもなってくれた」などの感想が出されました。