60年安保で総辞職した岸内閣
まず60年安保問題。日本をアメリカのアジア侵略政策の前線基地にしようとする同問題には、国民の反対運動が空前の規模で広がりました。連日のように数万、十数万のデモや集会、ストライキが続き、反対署名も2千万を突破。当時の岸内閣は国民から孤立し、新安保条約批准の直後、総辞職せざるを得なかったのです。
反対運動で育まれた革新的・民主的なエネルギーはそのご、革新自治体づくりやベトナム侵略戦争反対、沖縄返還、原水爆禁止、公害反対などの運動の発展に結びつきました。
そして現在、日米安保条約の運用の代表例といえば、沖縄・辺野古での新基地建設計画です。これへの保守・革新の枠を超えた島ぐるみの反対運動が全国的支援を受けて展開され、各種選挙でも相次ぎ勝利を収めています。同計画に関わったカート・キャンベル前米国務次官補も、「このような反対意見が出ていることは、我々にとって立ち止まり、考えさせられる状況だ」(「朝日」6月20日付)と語り、見直しを示唆せざるを得なくなっています。
PKO(国連平和維持活動)法の犠牲者に「胸が詰まる」
自衛隊員の海外派遣に道を開いたPKO協力法。そのごの経過をみると、安倍首相のような自慢は到底できません。
1993年、カンボジアで停戦合意が維持されていると言われるなか、パトロール巡回中の文民警察官が身元不明の武装集団に襲われ、犠牲となりました。同法成立に宮沢内閣の官房長官として関わった河野洋平元自民党総裁は、現在もそのことにさいなまれていると告白し、安保法案の成立を急ぐ安倍首相に警告を発しています。
「カンボジアにPKO派遣した高田晴行警視が、現地で撃たれて亡くなった。葬儀の場には若い夫人がいて、小さい子が駆け回っていた。政府の指示で派遣した人が死んだ。大変なショックだった。責任の重さを思い知り、今も胸が詰まる思いでいる。安倍首相にも、その重みを考えてほしい」(「週刊朝日」7月3日号)
国民の反対を押し切って成立させた条約や法案は、国民から怨嗟(えんさ)の声を浴び続ける宿命にあります。米国など他国同士の戦争に参加する安保法案にあっては、そのことがいっそう明らかでしょう。(写真=戦争法案を廃案にと、3万人が国会を包囲した行動、6月24日)